[コメント] マッドマックス:フュリオサ(2024/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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体感で言うと上映時間の2/3くらいはMMFRの焼き直しに終始した映像というイメージ。特にカーチェイスシーンはドライバーを置き換えただけで、ウォータンクの映像はほぼMMFR(ただし物量、モブ密度低め)。というかMMFRのレベルには遥かに遠い感じ。激しいバトルもきちんと前後関係がわかるような編集がされていた前作と比較すると、例えば前作では、ウォータンクのミラーを見るフュリオサの視線に合わせて、今何が起こっているのか、そして次に何が起こるのかを説明できていたのに、本作ではウォータンクを運転するジャックはミラーを見るだけで、視線移動が前後を繋いでいない感じで、ただ映像が漫然と流れるだけなのが苦痛。
その他にも「前作の登場人物大挙出演」とか「俺を見ろ!からの特攻」とか「砂に埋もれた主人公がバサァ!」とか「エアインテークがシュゴォォ」とか「種」とか、前作のモチーフがちりばめられてるのも、まあ一種のくすぐりなのかもしれませんが、脈絡がなさ過ぎてむしろ鼻白むレベル。言い方は悪いですが、ファンによるアマチュア二次創作っぽい。挙げ句の果てに崖の上からフュリオサの逃亡を見るマックスとインターセプターの映像とか、ほんとにいらない。
また、脚本の問題なのか、脚本のどこを使うかという編集の問題なのか、その両方なのかはわかりませんが、人物にもストーリーにも説得力がないのも残念ポイント。例えばクリス・ヘムズワース演じる今回のメインの敵役ディメントスですが、動機もきちんと見えないし残忍さの理由も良く見えない(妻子を殺されたってのはいいんですが、それがこの残忍さにつながる構図が見えない)。演技自体は説得力がある気もするし、最後にフュリオサと対峙するあたりも悪くないのに、全然魅力的でないのです。しかもマッドマックスシリーズで群を抜いて無能な支配者なので、見ていてイライラする。つまり小物。こんな小物に大事なセリフであるはずの「Remember Me?」を使っちゃだめでしょ。そしてその「Remember Me問題」ですが、本作でのイモータン・ジョーはほとんど存在感無く、「え?この映画は前作でフュリオサがイモータンに向かって”Rmenber Me?"と尋ねるに至るその経緯についての物語なんじゃないの?」と驚くレベルで二人の間の確執が全く描かれません。または全く存在していない。この程度じゃあ「Rmember Me?と訊かれましても覚えてませんよ、そりゃ」となってしまいますし、フュリオサのイモータンに対する憎しみは、女をモノ扱いすることへの義憤としか読み取れません。そもそも焼き印押すシーンがないし(ブーーーー)。そして「緑の地」にについても、母親に「必ず故郷に帰ると誓って」と言われて以降は特に想いを募らせるネタもないので、なんでMMFRの慟哭につながるのかもよくわからない。というわけで、答え合わせ的な部分はせいぜい「なぜ左手を失ったか(これは良いエピソード!)」と、「ウェイストランドのタンパク源問題(MMFRで私が予想したとおりでしたが)」くらい?
もちろんところどころ良い場面もあるし、中でもディメントスの最期は「語られるべき神話としてのマッドマックス」の真骨頂で、ジョージ・ミラーの本質って「神話語り」だよね、そこだよね!好き好き!と思ったりするのですが、上述の通り脚本が弱いのか編集がだめなのか、「語られるべき物語」がまるで見えないのですよ。一応今回の語り手は「ヒストリーマン」ということのようですが、『マッドマックス2』、『マッドマックス/サンダードーム』、MMFRと、いずれも「物語の中で役割を果たしている人が語る物語」(MMFRの語り手は視点主人公であるマックスである、というのが私の見立てです)なのに、今回はただの傍観者ですからね。なんだか物語に骨がないのです。そういう意味では、2やMMFRにあった「物語の冒頭で旅の目的が提示されて、それを達成すると主人公が去って行く」という構図が存在せず(まあ設定上去るわけにはいかないのですが)、到達点だけはわかっているのに、何の話に付き合わなきゃならないのかが全然見えないという、まあ紙芝居として成立していない、要するに、前日譚の大傑作である『ゴッドファーザー PART II』ではなく、グダグダでとりとめの無い過去語りに付き合わされる『スターウォーズ』Ep1-3に近いがっかり感でした。
結局「この映画、なんで作りたかったの?何を語りたかったの?」という疑問が解消されないままモヤモヤを抱えて立川からの終電に乗ったのでした。イモータンとの確執や焼き印ネタだけでなく、女であるフュリオサがいったいどうやって大隊長まで上り詰めることができたのかとか、その銃の腕前はどこで身に付けたのかとか、ウォータンクの隠し部屋はどうしこんだのかとか、いろいろ語るべきことはあるだろうに…(いや、すいません、「語るべきこと」では無く、「私が知りたいこと」でした)。
しかしなー、ラストでウォータンクの隠し部屋の扉が閉まるところで終われば、視線が鉄板で遮られて終わり、というMMFRと同じ構図で、それはそれで悪くないのに、なんでわざわざMMFRの雑なダイジェスト映像を流すのか。自信が無かったのか、またはワーナーの横槍なのかは知りませんが、意図不明でした。『AWAY』日本版で流れた本編ダイジェストと同じくらい雑だし、なんだか前作にも本作にも失礼な感じ(まあどっちも作り手は同じなので、別に失礼ではないのですが、まあ)。そもそもMMFRの逃避行開始につながるシーケンスも雑な駆け足だし、結局雑な映画ってことなのでしょう。
なお、子供時代のフュリオサを演じたアリーラ・ブラウンはアニャ・テイラー・ジョイより遥かにシャーリーズ・セロンで、そこは大絶賛。アニャ・テイラー・ジョイは相当こちらの見立て力が必要ですけども、悪くはないです。
<おまけ> 気になった人がいると思うので触れておきますが、リクタスの兄がコーパス・コロッサスからスコータスになっちゃったのは、コーパスを演じたクエンティン・ケニハンが亡くなっているからだと思うのですが、だったら差し替えるのではなく、ここにいない理由があればそれで十分だったんじゃ…。
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