[コメント] どうすればよかったか?(2024/日)
自戒と懺悔と追悼のドキュメンタリー。映画は映像のない画面に響く姉の嬌声で始まる。その音声記録は当時の姉の様態を医者に知らせるために記録したのだという。やがて映像制作に携わることになった作者の藤野知明はホームビデオ感覚で家族を記録し始めたようだ。
その後、おそらく凄まじい葛藤のすえに、この「告白と問い」は映画というカタチを得たのだろう。もし作者が映像という表現手段を身に着けていなかったら、この家族は世間(社会)と接点を結ぶこともなく、私たちも平穏なままでいられただろうし、その“平穏”は突如として崩壊するということを考えずに、平穏なふりをし続けられただろうに。
夫と妻は夫婦という関係のなかで互いの意志をなぜ確かめあえなかったのだろうか。医者である夫が娘は病気ではないという言葉の正否の判断を妻は放棄して従う。家父長制を互いの保身に利用する意図せざる狡猾の空虚。
親子という関係のなかで強者による弱者の保護という行動がなぜとれなかったのだろうか。国家試験に落ち続ける娘を、父親は努力がまだ足りないと言い、母親は充分努力しているとかばう。社会的な権威を利用して問題をすり替える盲目。
姉弟という個人として並列な関係と、親と子という上下の関係のなかで個人の人格はどこまで独立しえるのだろうか。弟は家族から距離をとるように故郷を離れたと自白している。家族という切断不能な関係のなかで個人を主張する限界。
藤野家の家族構成者の年齢は、私が育った家族とほぼ同じだ。権威と差別。家父長制と支配/被支配。自尊心と恥。保身と自己正当化。その世代が世間(社会)と接するさいの、そんな価値観や常識や非常識のありかたに、正解、不正解の判断を保留しつつ、私も思い至ることができる。
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