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[コメント] 幕末太陽傳(1957/日)

個人の事情としては、その性能はここに置いておくべきものではない。局地的なこの遁走願望は階級脱出の体裁をとりながら、マルサスの限界に達した近世社会の窮状を概観する。
disjunctive

フランキーにこのマクロスケールの階梯を登らせるのは、並走する裕次郎のプロットであり、遊郭の過密と病変の生理である。芦川いづみらの、収束する幸福感が階梯上昇の解放感を代行する。他方で、市村俊幸による離脱妨害の焦らしプレイから帰納されるのは、フランキーの性能を相対化してしまう土俗の、つまり体系依存の思考の強さである。昔は苛立ちだった彼の強度が今見ると目を惹いてしまう。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ゑぎ

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