[コメント] 四畳半物語 娼婦しの(1966/日)
冒頭は昭和初期。「君恋し」(宵闇せまれば〜)の音楽が流れる中、池の水から、「売り家」の札の貼ってある廃屋(元待合い)の戸を映し、塀を乗り越え、庭へ降りて、そこから四畳半の離れの部屋までワンカットで見せる移動ショットだ。こゝに「四畳半襖の下張」の開巻部分を翻案した、東野英治郎のナレーションがかぶさる。もうこの冒頭を見た時点で、本作が傑作であることを確信する。
本筋は大正期(場所は上野七軒町とナレーションである)。主人公の三田佳子の登場は、濡れ縁を歩く足のカット。冒頭の離れの部屋へ入って行く。部屋には衝立があり、その向こうの客は映さない会話シーンが続く。衝立の向こうにカメラが寄ると、田村高廣が布団にいる。ランプの火を細める田村。なんという情感。このカット割り、カメラワークは円環のようにラストでも使われるのだ。
縦構図の画面奥を意識させるカットも随所にある。後景の道に、子供や女学生の一団を歩かせる、というような演出は普通かもしれないが、二階の物干し台を使った俯瞰での縦構図は特筆すべきだろう。物干し台にいる野川由美子の上から、左下奥の庭に三田佳子をとらえたカット。そのカット内で、右下の隙間から表の道が見え、道具入れを持った人を歩かせるのだ。
シーケンスショットでは、浦辺粂子が野川由美子を叩く場面も凄い。最初に浦辺が木暮実千代と会話しているシーンは、二階だったのか。そこへ来た野川を浦辺は叩き出し、逃げる野川を追って階下へ降り、帯を持って、「あーれー」になる。また、その間、後ろで木暮が平然と煙草を喫っている、というディレクション。これを移動撮影で見せるのだ。呆気にとられるワンシーン・ワンカットだ。
また、待合いの勝手口から出たところの、池のある空間も、芝居の場として素晴らしく機能させる。三田が田村に自分の本名「しの」を明かす(旦那の露口茂も知らない、と云う)シーンは本作の中でも白眉だろう。どぶ池に咲いた、白いハスの花は三田佳子のメタファーだ。このシーンで、私は涙が止まらなくなり、後半はずっと嗚咽をこらえながら見ることになってしまった。田村と露口との修羅場となる場面も、この池のある空間だが、さすがにこのディレクションは、やり過ぎ(演劇的に過ぎる)かと思ったけれど、空間を機能させる、という意味では、こゝもいいと思う。ちなみに、本作の露口の造型、特に口跡の鮮やかさも、見事なものだ。
さて、上にも書いたが、エンディングも、濡れ縁の三田の足から、離れの四畳半の客のもとへ、という、冒頭と同じ演出の反復だが、冒頭と違うのは、寝間に入った三田の顔を、カメラがずっと凝視するところだ。そこに軽快な劇伴が入り、劇伴にかき消されそうなぐらいの、小さな三田の声がかぶさる、という厳しい厳しい演出なのだ。この突き放した描写にも震撼とさせられた。いやはや、全く、本作の成沢の仕事ぶりは、溝口レベルと云っていいのではないだろうか。
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