[コメント] 鉄拳 TEKKEN(1990/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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一本の作品として観た時、これほどいびつな映画もそうそうないと思われます。話の主題が「鉄拳」にあるにも関わらず、劇中で充分に描かれるのは菅原文太とハナ肇の長年の関係性のみ。それ以外の、例えば桐島かれんの大和武士に対する愛情だとか、菅原文太のボクサー時代の過去など、もっと描かれて然るべき物は存分に省略されてしまっています。いや、材木屋の描写も必要だとは思うし、それを描くことが物語を邪魔してるわけじゃないんだけど、何だか妙にバランスが変なのです。
中でも最もおかしいのが、シーザー武志演ずる悪役集団に関する描写。これがもうハッキリ言って全然ないに等しい。障害者を排除しようとする集団であることはどうにか判るんだけど、彼が何故それを目指し、その目標をどこに置き、周りの連中が何に共感し、どういう洗脳の元にあそこに至ったのか、それが全てすっ飛ばされているんです。だから後半に彼らの出番が増えるに従って、明らかに物語が暴走をし始める。これはもうハナ肇の嘆きに時間割いてる場合じゃなかろうと。
しかもそのシーザー先生を倒すのが文太ですからね。鉄拳じゃねぇじゃん。メインが文太の復権なのか、大和の復活なのか、その辺りの軸すらブレまくってしまっているわけです。監督途中で作るの投げたんじゃないかな、これ。
とそこまでが今作に“欠けている”もの。でも今作が本当にいびつなのは、これがただ欠けているだけの映画ではなく、そこに本来不要であるはずの物がベトベトと貼り付いているからなんです。しかしまた、そのいびつさこそが、何だか妙に褒めたくなる不思議な空気を醸し出してしまっているんです。
もちろんそのベトベトの大半はシーザー先生から分泌されています。「どうすんだよ!恐くなっちまったじゃねぇかよぅ!」という泣きの演技に代表される、意味のわからない迫力(前述の通り説明がないから、本当に意味がわからないまま終わる)。時に棒読みでセリフを吐き、時に文太の写し鏡となり、時にバイクに後ろ向きに2ケツして去って行くその勇姿。一応「幼児性」とも読み取れるんですが、それすら確信が持てぬまま、ただただ「変な人が出ている」で終わってしまうという素晴らしき潔さです。ちょっと素で恐いです。
その他「それはボクシングのルールでは反則じゃないのか」という鉄拳や、文太の「エルボぉぉぉぉっ!」など、ベトベトだけ見れば☆5は余裕でオーバーできるイヤなパワーを持った映画でした。真っ当に高い点は付けられませんし、人にお薦めもできない映画ではありますが、何かが心に残ったことだけは確かです。そしてその残ったものは、当然ベトベトしています。
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