[コメント] シザーハンズ(1990/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まず圧倒されたのがあの町並み。無機質で人が住んでいる気配をあまり感じられない、まるで「セット」の様な町並み。確実にそれはティム・バートンの世界を表現する為に意図して作られた物だろう。その非現実感溢れる情景が、ティム・バートンのファンタジー世界により一層深みを与えているのは言うまでも無い。だから街のど真ん中に城が在ろうと違和感は皆無で、「手がハサミ」という設定にすら無理を感じる事も無い。現実的な情景なのに、全く現実味を感じさせない。
その意図されたセットとユニークなクッキー製造機やアイデア(ヘアーカット等の)から、ティム・バートンの限りないイマジネーションと才能が見えてくる。こんな素晴らしいラブストーリー(と、単純に括りたくないが)を撮れる人が『マーズ・アタック』と言うバカ映画を作って、『猿の惑星』のリ・イマジネーションで見事ラジー賞に絡んだのだから、この人はさっぱりわからない(笑)ただ言えるのは、この映画は紛れも無く傑作だろう。
あまりに無垢でストレートで幼すぎる主人公。手がハサミと言う設定は見終わった直だとラブストーリーとしての印象が強いので、「好きなのに触れる事が出来ない」と言う、「不器用な恋の象徴」として描かれているようにも思えるが、実際は人間の先入観を描いた作品であるのだろう。
ラスト付近はラブストーリーを基調としているので、主人公の「手」を単純に解釈しがちになるが、近所の住民の態度を見ても解かる通り、「私達と違う」という先入観と言うか、偏見みたいな物で相手を差別、と言う一種の身障者差別見たいな物を描き出す。ティム・バートンはそんな堅苦しい事を描こうとした訳ではないのかもしれないが、その様に捉える事も出来る作品ではある。
人々の先入観と言えば特に銀行のシーン等、それをストレートに表現しているように思えるし、最初のパーティーのシーン。あのシーンで「珍しい」ので近づいてきて、「皆と仲良くなれる」と思って喜んでもらおうとするエドワード。しかし、あの事件をきっかけに次々と崩壊していく信頼。しかし、ラストに近づくにつれ話がラブストーリーに傾いていく辺りから察するにティム・バートンはそんな物を描こうとは思って居なかったとは思うが・・・。
ラストで、嫉妬故に心が乱れたエドワードが町を破壊(してもないけど)しながら歩きながらも、人を助ける姿は、彼の純真さが表れている。エドワードの純真さと言えばジョニー・デップの演技が素晴らしい。『耳に残るは君の歌声』でもそうだったが、この人の「目」の演技は凄い。今回は台詞があまり無いだけに、役者の演技力が求められるのだが、彼は見事にエドワードのイノセントな心を表現しきっていた。
そしてラスト。警官がエドワードを逃がしたにも関わらず追いかける町の住民。ここには「マスコミに踊らされる血(アクシデント)を求める一般人」がオーバーラップする。しかも相手は、彼らから見れば凶悪犯罪者で、サイコキラー(殺してねぇけど)だ。
最初は彼の純真無垢な心を理解していたにも関わらず信用が無くなった途端無残に捨てられ濡れ衣まで着せられ、それでも純真な心を曲げずに生きていく、好きな人の為に「プレゼントする」彼の心には涙が止まらず、ラストで彼が町に雪を降らしているシーンでは完全に俺の心はボロボロだった。涙が止まらない。
この作品はファンタジーラブストーリーと言う観客が見易い物を表に据えた、人間の奥底の先入観の話ではないだろうか?もっと言えば差別の話ではないだろうか?しかし、この話が「身障者差別」の映画だとは全く思わないけどね
今までティム・バートン作品は何作か見たが、「面白いけど、どうも・・・」と言うのが多かったが今作は紛れも無く傑作だった。素晴らしい。
恐らく無機質な町並みは、没個性化した、と言う事の象徴なのかもしれない。そのダサい町に突如現れたエドワードが「個性」を生み出す。しかし、そんな事はすぐに忘れて次の話題、つまりエドワードが実はサイコ野郎だったと言う事実を楽しみ始める。「結局人間って汚いなぁ。」ラストで城から引き返していく住民達はそれを表現している様に思えた。
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