[コメント] 悪名一番勝負(1969/日)
私は思う。『悪名』『兵隊やくざ』『座頭市』と立て続けに大ヒットシリーズを得た勝新太郎だが、どうもこの『悪名』シリーズというのは勝新太郎の持ち味がプラスに発揮出来ていたのかどうか疑問なのである。
勝新太郎の持ち味は「可愛らしさ」だと思う。「お茶目さ」だと思う。そして勝新太郎の恐るべき点は芝居に賭ける人並み外れた「情熱」だと思う。
『兵隊やくざ』で「お茶目さ」を発揮し、『座頭市』で演技を極めるべく進化し続けた。ではこの『悪名』シリーズでは何が残せたのだろう?個人的には俳優としての痕跡は残せなかったのではと思う。勝新太郎の中でこのシリーズは「大スター」としての地位を確立する為だけに存在し得たのではないか?
シリーズを全て鑑賞し終えて言うのも何だが、この「朝吉」というキャラクターは魅力が薄かった。腕っ節が強く義侠心溢れるが酒は飲めず、女には惚れられるがちょっとばかりオクテ。この禁欲的なあまりにも禁欲的なキャラクターと勝新太郎という俳優の接点が遠すぎやしないだろうか?役者としての幅が狭い鶴田浩二なら納得出来るが、彼は勝新太郎なのである。
勝新太郎はこの「朝吉」役にどんな魅力を感じていたのだろうか?私は彼がこの役から引き出せたモノがなかったように感じるのだ。さらに言えばこの役を「座頭の市」のように進化発展させる余地すらない役だったように思う次第である。事実、大映から独立し勝プロダクションを作った彼が第1作の『悪名』をリメイクした『悪名・縄張荒らし』での「朝吉」は暴力と残酷さが増していた。
大映でのシリーズ最終作となった本作では東映任侠映画の大御所マキノ雅弘が脚本から参加し、異色の『悪名』となった。本作の「朝吉」は暴力性が増し、鼻っから刃物を振り回す。素手での喧嘩にこだわり続けた過去のシリーズとは一線を画していた。さらに女優は毎回いろいろな女優が出演はしていたが、「女」をしっかりと描いた作品は皆無であった。それがマキノ雅弘がメガホンを取るや一転して「女の映画」にすらなりかけてしまう。これには驚かされた。
映画は監督次第でどっちにも転ぶ。本作はそれを如実に表した作品だった。そしてそれ以前の問題として、映画はプロデューサーの腹づもりひとつでどうにでもなってしまうのだと実感した。
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