[コメント] 元禄忠臣蔵・後編(1942/日)
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徹底的に検閲や内容を決められながらも、溝口健二は抵抗して映画を護っていたのだ。昭和13年7月、内務省が戦意高揚を期すため映画の内容制限を製作各社に要請した。作品の内容を都合良く決められた状況でいても、腐らずに自分の思想を泣く泣くオブラートに包みながらも、誠実に映画を愛した男の姿が目に浮かぶ。この作品に携わった方々の、時代考証に捧げた汗と涙とほとばしる血が見えて見る人には伝わると思う。
個人的に感じたのが、『戦國群盗傳』で思う存分左派的に演じきった前進座の河原崎&中村の二大巨頭を意図的に接触させなかったのかと勘ぐってしまった。そうではないのだろうけど、恐らく念には念を入れて、彼らを同じ画面にあまり同時に出さなかったのかも知れない。いずれにせよ、河原崎長十郎のラストの科白は、芸術の“げ”の字も理解していない軍部を皮肉っていると言って間違いはないだろう。前進座魂はこの作品でも活きていた。
コメントにある以外に、私的に考えた「討ち入りを撮らなかった理由」というのがある。それは討ち入りシーンとなると、吉良邸内を土足で疾走し、襖から畳みや天井から何から何まで傷を負わすことになる。討ち入りでセットを壊さず、凄く丁寧襖を開けて入り敷居を踏まずに、礼儀正しく刀を混じわすことなどできない。監督は溝口健二。そんな中途半端で迫力のない殺陣景色を撮影するだろうか?
言いたいことは、溝口健二監督は、物資不足の世の中で週一回の電休日を設定されて、セット撮影も禁止されている状況下で、貴重なセットを壊すよりも限られた状況ではあるものの、数多くの映画を撮りたいがためにセットを破壊する行為を省いたのだと思う。それに討ち入りが無い『忠臣蔵』が今まで存在し無いときたら十分である。そして、1938年山中貞雄が戦地で病死したのが作用しているのかも知れない。映画が撮れるということについて真剣に向き合った結果が、この作品だったのだろう。映画が撮れなくなる、それつまり“死”だからだ。
討ち入りを省き、加えたシーン。残された人々の悲しみ、戦地に出向く悲しみをつらつらと書き記す筆運びに、悲しみしか感じられなかった。死ぬ間際に舞った声と笑みの音が耳から離れない。また、離すことなど出来ないのだ。
(これを機に溝口健二は暫しスランプに陥っているので、この作品に半殺しにされたと言える。だが『西鶴一代女』『雨月物語』『赤線地帯』らで見事、体制に討ち入りを果たしている。彼は討ち入りのシーンを撮り続けていたのだった。溝口健二は大石内蔵助を見事演じ、撮りきった素晴らしい映画職人である。)
2002/12/14
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