[コメント] Focus(1996/日)
自然に演技することの不自然さを自然に演じるということは自然か不自然か
冒頭の10分で、浅野忠信の演技はもはや絶頂を極めた。
自然に横断歩道を歩けという不自然な要求をされた人物が自分では自然なつもりなのにカメラには不自然に映るという超自然な演技。右手右足を同時に前に出して歩くような不自然ではなく。ここで単純に「あっすごい自然」と思ってしまった。
それでもこの映画が不自然なのは物語の強引さにおいてではなく、たとえば音楽の鳴らせ方。 それまで自然音しか聞こえてこなかったはずの画面から、突然音楽を鳴り響かせてしまうという不自然を自然にはじめてしまった。それはドラマチックな効果を狙ってというよりも、いつまで続くのかわからない不自然な自然さに映画という装置が耐えきれなくなったのではないか。 突然音楽が流れるというのは現実の世界にはありえない不自然だが、映画の中では自然なことだ。 いきなり「あっそうだこれは映画だった。映画ならここで音楽を流すのが自然だ」という声が画面から聞こえてきたような気がした。
コインロッカーに拳銃があるというのは現実では自然だし映画でも自然だ。 だからそれは限りなく退屈な画面なのだ。しかも喜ばしき退屈さではないだろう。
映画という装置は、自然なことを不自然に描くか、不自然なことを自然に描くか、そのどちらしか許してくれないのかもしれない。
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