[コメント] ワイルド・アット・ハート(1990/米)
ニコラスの平常心が膨張する話だが、この平常心を構成し拡張することは、語義矛盾に近い。構成できるものを平常心と呼べるのか?
恋愛の排他性が設定されていない話で、ローラ・ダーンはニコラスの過去の情事に好意的な応答をする。愛の信ぴょう性が、そこで、ゆるふわとなる。したがって、平常心を構成するという課題は、恋愛の排他性を設定しないまま、愛の信憑性を確保しようとする旅として具体化する。その最後に、われわれを待ち受けるのが、あの不可思議なカラオケなのだ。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。