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[コメント] 阿賀に生きる(1992/日)

ゆきゆきて神軍』と一対の趣のある穏やかな老人たちの素敵な佇まいにより、第二水俣病もまた歴史として語られる。残したい風土と残したくない風土を折り重ねる語り口により、独自の方法論が編み出されている。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
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冒頭、川舟の船頭が登場し、川の風向きについての呼び名を何種類も語っている。昔は川でサケマスが幾らでも獲れて、土手ではいつも仲買人が待っていた。物資運搬も運搬船が担ったがトラックに替わられた。昔は男はほとんどが船頭をしていた、彼は昭和36年に廃業、いまはシーズンだけライン下りの船頭をすると話している。

長谷川さん夫妻は農業。川沿いの区画整理のない矩形の田んぼを耕す。道路に登るのに道がなく斜面を婆さんが這いつくばって登っているのが印象的。〇年後の『阿賀の記録』()では、この田はすっかり荒地になる運命にある。夜はふたりで酒呑んで、都会に出た娘の同居の誘いの電話に「田んぼは愉しみ」とすげなく断り、若い頃中国戦線にいた爺さんはわたしのラバさんを唄い、土方に出ていた婆さんは艶笑歌を唄う。鉤流し漁という、釣り竿ほどの長さの棒の先についたフックで産卵魚を釣り上げる漁が再現される。案内役の人が先に釣り上げるというトラブルもありつつ、長谷川さんもでっかい鮭釣り上げる。鮭はトンカチでポンポン頭叩かれて即死させている。「産卵の川魚とるのは人間の罪つくり」と彼は語る。

遠藤さんは昭和60年に廃業した船大工。うち棄てられた仕事場は、土の臭いが漂うようなオール木造の小屋で、大工道具が錆びるに任せて積み上げられている。昔の田舎の倉庫はこんな構造だったと懐かしい。遠藤さんは弟子を取らず、廃業後は頼まれても断っていたが、棟梁が自分で作り始めたら教えに来てくれた。映画はこの過程が記録される。出来を真剣な眼でチェックし、秘伝の鋸使いのテクを披露する。最後に腹に名前彫って完成。真新しい舟がモーターで川を滑る様は軽やかで、映画のクライマックスに相応しかった。祝賀会でみんな悦ぶなか彼だけが無口で、送迎の車でキャメラに向かってナイーブに微笑む顔が素敵だった。

加藤さん夫妻は餅づくりの名人で、年越しにはたくさんの需要があり、60歳の娘さんらと一緒に忙しく作業。そして囲炉裏端でこの爺さん婆さんの、極めて味な対話が延々展開される。ここが本作の見せ場、ほとんど喧嘩を売り買いしているような戯れで、お互いを邪魔者扱いしてお互い愉しんでおり、夫婦関係は長期にわたるとここまでこなれるものかと、ある種の感動があった。劇映画ではこんなのは観たことがない(高齢者の演じ手がいないだろうし)。婆さんはペヤングの焼きそばを喰っている。この囲炉裏端は『阿賀の記憶』でアートっぽく回想されている。

これらエピソートと並行して第二水俣病が語られる。阿賀野川には当時最先端設備の鹿瀬ダムが造られ(昭和3年)、昭和4年に昭和電工がやって来た。加瀬町は工場の町として栄え、最盛期には職員3千人を抱えた。鹿児島の人が多く、仕事は三交代制で、文化だったと語られる。現在は百人規模の別会社が入り、町は県内で過疎率が一番高くなった。

安田町未認定の会の会合が開かれ、訴訟団は地裁へ出向く。電工職員で証言した老人が登場し、会社に転勤を申し渡され、他の社員は取り下げ、世話になった会社を売るのかと非難されたと語っている。裁判所の現地調査が記録され、弁護団が排水路を前に説明、水銀はいまだに3ppm、当時は鼻をつままないと歩けなかった。終盤の寄り合いでお婆さんの曲がった手が、まるで次いでのように映される。このショットだけが被害を刻印して悲痛だった。本作は土本と同じテーマを追いかけて模倣をせず、全く別の方法論を編み出しているのだった。

その他、夕方に路地に畳が敷かれ、虫地蔵に念仏が上げられる件も印象的だった。風土病のツツガムシ病はかつて死の病だったと伝えられる由。私の田舎でも路上での念仏が昔あったのを思い出した。エンドタイトルには多くの支援者の名前が映され、アイリーン・スミス(ユージン・スミスの妻)や絓秀実の名前が確認できた。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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