[コメント] 真昼の暗黒(1956/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
何故あえて「裁判モノ」と「告発映画」を区別したかというと、この映画が裁判を終えて冷静に分析した類のものではなく、人間がクローズアップして描かれているのは被害者側(とその関係者)で、警察機構及び国家権力側の人々はあくまで告発すべき対象として以上の描かれ方をしていないから。
いかに彼らが理不尽な扱いを受けているか、告発すべき対象がいかに驕った先入観で杜撰な捜査をしてきたか、または権力を不当に行使しているか、それをいかに強調するかに終始している(控訴審でわざわざ滑稽極まりない犯行の「仮定再現フィルム」を挿入しているあたりなど如実)。
そして単独犯の小島は、性格の弱さがじっくりと描かれ、いかにして彼がウソで固めた供述をするに至ったかを、苛酷な取り調べと結びつけて容易に想像できる作りになっている。そしてこの映画において加害者でも被害者でもあるという微妙な立場ゆえか、結果的には最も複雑で興味深いキャラとして描かれていた気がする(最後の犯罪経緯の説明で、立場をわきまえず自嘲気味に笑いだすクダリが印象的だった)。
言いたいことも目的もハッキリしている。ゆえに世間に問題を投げかけているようで、「ではそれぞれが各々の観点から考えてみよう」という「突き放し」の要素はない。まさに「裁判中」だからこその映画。裁判中にここまでメスを入れられたことがスゴイということで、裁判後にこんな描き方をした映画があったとしても、あの程度の権力側の描き方では、それこそ時が経てば経つほど「こんなことがあったんだ」程度の感慨しか湧いてこないかと思う。映画がたとえ目的のための「道具」になり果てることも恐れず、あえて執念で声を上げているのだと思う。その気迫と、結果が出てないことを事実を慎重に積み重ねながら、確信を持って描いてしまう勇気には、良し悪しを越えて圧倒される。何しろ最終的に決着がついたのが78年のことなのだから・・・・。
とにもかくにも、冷静な判断がしづらい。というか、冷静な判断が必要な映画なのか、イマイチ自信がない。冤罪目的のための映画だとすれば、かなりの完成度の映画だとは思う。ただ時間を置いた現在となってみると、制作サイドの執念と怒りばかりが固まりとなって伝わってくる。
(2003/8/8)
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