[コメント] 日本のいちばん長い日(1967/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
原田眞人版を鑑賞して、ムラムラしたものだから、十数年ぶりに再鑑賞。レビューも全面的に書きなおす。 岡本喜八自身の気持ちとは裏腹に、私はこの映画が大好きだ。大好きで大好きで仕方がない。
「この映画の主役は“時間”。登場人物は全員“脇役”」と岡本喜八はこの映画について語っている。
終戦の噂を巡って様々な立場の人間が右往左往する様は、“桐島”の噂を巡ってクラスメイトが右往左往する『桐島、部活やめるってよ』に似ている。彼らにとって終戦とは一体どういうことなのか、これから先どうなるのか、姿を見せない“桐島”同様「見えない」のである。その見えないものを巡る“時間”の物語なのだ。
岡本喜八の「戦中派恨み節」は、原田眞人版では描かれなかった特攻兵や厚木基地のクダリで表現される。逆に、原田眞人版との“差分”で岡本喜八の真意が読み取ることができる。 岡本喜八はこの映画の“欠落”(つまり庶民や一兵卒の視点)を『肉弾』で埋めたそうだが、畑中が巻いたビラを手にする少年に、その視点を投影しているようにも思える(当然、そんな描写も原田眞人版にはない)。
この映画は痛い。誰もがこの国の将来を案じている。それが痛いほど感じられる。そして、ビラを手にした少年の世代がこの国を立て直すのだ。 この映画は、終戦当時の人々の“不安”と“希望”を描いた史劇だと思うのです。 私はこの映画を見るたびに、“今”を考え直してしまう。
(15.08.23 CS録画にて鑑賞)
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