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[コメント] 復讐するは我にあり(1979/日)

「復讐するは我にあり」とくれば「アンナ・カレーニナ」。しかし制作者がこれを読んだ痕跡はどこにもなく。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







断片はいろいろ面白い。長尺を飽きさせない豊富なネタを揃えている。すき焼きの具材買ってアパートに入ったらすでに殺されている加藤嘉とか、よく判らないカットバックのなか病院から脱出してくるミヤコ蝶々とか。特段脈絡もなく始まる倍賞美津子小川真由美のヨロメキもあくまで断片として面白く、ふたりの忍従マゾヒストの哀れは相当に自己中でコメディに片脚突っ込んでいる。フランキー堺の語りを導入にだけ使って止めてしまう投げやりな構成も揚足取るほどではない。緒形拳は回想のチンピラ風情はいかにも不似合だが詐欺を始めるとやたらとハマってくる。北村和夫のエロ爺と清川虹子の超絶な達観もいい。本作でいいのは脇筋ばかりである。姫田キャメラは冒頭の逮捕の車中から眺める夕暮れなど、夜景にいいものがある。

で、本筋をどう纏めるのかと観ていると、本当に殺したかったのはお前だという刑務所面会室での緒形の三國連太郎への捨て台詞に収斂することになる。これが浅い。理由は何だったっけと顧みるも、子供の頃に父が軍隊にへえこらした屈辱の記憶と、倍賞の劣情の世話をした件しか見当たらないし、ふたつとも型通りの描写に過ぎない(あんな簡単に子供はグレないよ)。父への毛嫌い、ないし在りきたりのエディプス・コンプレックスに理由を求めるしかなく、浅い。いろんな断片を粘着質で描いたのに対して肝心の主題、殺人鬼の人となりが淡泊ですっぽ抜けている。観たいのはここなのに。こんな程度ならもう、結構など構わずに訳の判らない殺人鬼でしたと潔く放り出せば良いのにと思う。

最初から最後まで困った顔しかしない三國にも全然魅力がない。件の親子対決で、棄教した三國は、親子の絆ってのはそんなもんかと、緒形の顔に唾を吐く。悪魔の血筋じゃ、などと云いながら遺骨を空にぶちまける。胸に十字を切りながら。これも浅い。いったい、キリスト教に何が云いたいのか全く判らない。親子の対立の主題を扱うキリスト教を背景とした文芸には分厚い歴史がある訳で、ハリウッド映画でも嫌と云うほど出てくる。本作にはこれらに伍する認識などない。イマムラ好みの血筋と因習の物語にしたいのだろうが、いかにも薄っぺら、それなら思わせぶりなだけのキリスト教など筋から外すべきである。「私(イエス)は地上に平和ではなく剣をもたらすために来たのだ」「私は敵対させるために来たからである。人をその父に」。キリスト教は親子を救わない。「アンナ・カリーニナ」はこのマタイ書の不吉な引用で終わる。このような深さの体験を本作の三國から得ることはできないのだった。

(評価:★3)

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