[コメント] 巨人と玩具(1958/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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これが高度成長時代の日本人なのだとばかり、登場人物がとにかく早口で話す。そして動作も機敏。誰かと話している時も、相手の反応など待っていないかのようにすぐ次の行動に移っている。それはまるで熱にでも浮かされたかのようで、まさに「狂奔する」という言葉が相応しいように見える。
そんな登場人物の中で、仕事を仕事として割り切れない甘ちゃんの西と、人情家の宣伝部長がやや浮いた存在のように描かれている。しかし、合田にだんだん批判的になっていた西も、最後にはそんな社会の中に組み入れられることを選択し、時代遅れの宣伝部長はやがて左遷されることが暗示される。結局、正しいかそうでないかは別として、この時代の流れに乗るのが本道だというのがこの映画の結論だったと考えていいだろう。
しかし、昭和が終わって10年以上が過ぎた現在から見れば、彼らの姿にはほとんど共感できる点は少ない。確かに現在の日本人だってこのくらい忙しく働いてはいるだろうが、「狂奔する」などという要素は、もうとっくに消え去ってしまっているように思えるのだ。当時においては京子だと見られていた、社会の中で踊らされている「玩具」は、実は合田や西だったということが、今になって理解できるわけである。
とは言え、彼らのような人間が現代にはもういないと断言することはできない。いや、もしかするとまたこれから出てくるかも知れない。実力主義の浸透しつつある現在の日本では、それも十分あり得ることだ。
それが時代の流れであると言うなら、そんな人間がいても別に良かろう。ただ、自分自身はそうはなりたくないものだ… なるべくなら。
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