[コメント] 第五福竜丸(1959/日)
「あ・・・西から太陽が上がった・・・」
世界で初めての原爆の被害者となったヒロシマ・ナガサキの日本人。そしてまたしても世界で初の水爆の被害者となってしまったのも日本人だった。
この作品で描かれた久保山愛吉さんの「死」の模様は、日本国内が静寂をもって対応した様子を描いていた。怒りの気持ちもあるだろう。だが、広島県出身の新藤兼人監督は怒りではなく、沈痛な静寂さで鎮魂の思いを描きだした。
そこにあるのは久保山という1人の男の「死」でなく、ヒロシマ・ナガサキで死んで逝った無数の犠牲者を描いていたと思う。敗戦から9年間、冷戦のエスカレートに対して何も出来なかった無力な敗戦国日本人の沈痛さと脱力感。またしても放射能の洗礼を浴びせられた「呪われた民族=日本人」
病院へ見舞いに来る小学生たち、列車内の遺骨に深々と頭を垂れる者、弔辞を述べる国務大臣。彼等は皆、久保山をはじめとする23名の乗組員に「だけ」、手を振り頭を垂れたのではない気がする。彼等は乗組員に対し頭を垂れ、非を認めないアメリカに対して拳を握り締め、何も出来なかった自分に対し目を閉じたのだ。
当時の風景描写が生々しい、当時のアメリカに対する「微妙」な接し方が生々しい。この作品では明らかにされていないが、結局アメリカ側からは放射能のデータは送られては来なかったという。久保山さんが重態になった時、アメリカ側は「日本医師団の治療ミスであり、放射能が原因とは考えられない。」とのコメントを発表したという。
それでも現在の日本はアメリカを容認し追従する。
50年後の今年、生き残りの乗組員のコメントが新聞に紹介されていた。彼等は仲間の葬式でも「第五福竜丸」のことはタブーになっていると語っていた。皆、過去を隠して生きていったという。第一報を報じたスクープ記事に大きな見出しで「”死の灰”つけ遊び回る」とある。この記事で彼等被爆者は想像を超える中傷を受けたという。本作品ではその辺りは詳しくは描かれていない。
生き残った彼は、こうも述べている。「50年の今年、意を決して喋らなければもう機会は無い」と・・・
この事件のあった昭和29年に公開された怪獣映画『ゴジラ』も今年50周年を迎え記念の大作を制作するらしい。数年前の「金子ゴジラ」では「第五福竜丸」に触れ、焼津の港にキノコ雲が上がるという初代『ゴジラ』の本質に迫る離れ業を見せてくれた。だが、それが番外編的な扱いに追いやられてしまったのが残念だ。単に第1作から50年というのでなく、本質である「第五福竜丸事件」から50年なのだということを強く意識して制作してもらいたいと願う。
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