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[コメント] バートン・フィンク(1991/米)

感覚的で不条理、を理詰めでやってみせたような完成度の高さが、唯一の不満点。だが何か癖になる味わいがある。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







他の作家たちを「観念的」だと言って非難するバートン自身がやたらと観念的で、ネタになる話をしてやろうと言う隣人チャーリーに耳を傾けずに芸術論をまくし立てる辺りの可笑しさ。脚本が完成して喜び勇んで美女とダンスし、水兵が「替わってくれ」と言えば「僕は創作者なんだぞ!」と吠えまくる。バートンが水兵に殴られたのが引き金となって会場は大乱闘になるが、こうした、騒々しく派手な暴力に駆逐される観念性、というのがこの映画全体の落ちでもある。

「何も考えず型通りに書けばいいだけのレスリング映画」という単純性によって却って苦しめられるバートン。犯人不明の殺人や、チャーリーが残した、中身不明の箱、という謎が契機となってやっと脚本に着手するが、ホテルは炎によって終焉し、映画の企画は、戦争の開始という巨大な暴力によって封印される。

だが「精神の格闘」を描いたらしいバートンの脚本は、実のところ、当のこの映画そのものによって実現されているのだ。刑事たちに襲いかかった時のチャーリーも、「精神の生命を見せてやる!」と叫んでいた。

精神の格闘、という意味では、ノイズや暑さといった不快感と闘いながら頭の中を捏ねくり回すバートンの闘いは、まさにそれだった。ホテルの部屋に缶詰になる、という行為は、物書きが精神を集中する為の常套手段だが、暑さやノイズは、自閉的な精神的無菌室としての缶詰状態になる事を妨げる。

内部と外部の境界がねちっこく粘っこく溶けて崩壊する事としての、メイヒューの嘔吐、チャーリーの耳垂れ、剥がれる壁紙、蒸し暑さとその極みとしてのホテルの炎上。この、不気味で奇怪な境界性は、ドアを開閉するといちいち鳴る、空気を圧縮したような風音や、隣室から聞こえる物音、肌を刺す蚊のクローズアップ、チャーリーが残した箱の包み紙や天井の、ざらついた質感などにも執拗に表れている。

こうした瑣末な要素で空虚さを包装したようなこの映画の味わいが肌に合えば、ホテルのフロントのベルが長々と鳴り続ける事や、ホテルの寂れの化身のようなエレベーター爺さんの漏らす呼吸音など、本当に細々とした所が、妙に愉しくなってしまう。

ところで、例の殺人の後、チャーリーが一時ホテルを去った際、廊下に並んでいた夥しい数の靴も消えてなくなっている。元々、靴がズラッと並んでいる割には、バートン以外に人が居ないような空虚感が漂っていたのだが、チャーリーと共に靴が消え去る事は、チャーリーが、バートンにとっての「他者」を体現する存在であった事の証左だろう。自らの観念性の枠外にある「レスリング映画」なるものと格闘するバートンが、取り違えられたチャーリーの靴を履いてタイプライターを打つ場面も、上述の意味から見られるべきだろう。

ラスト・シーンの海辺でバートンは、彼の前を歩いていく水着の美女に「Are you in pictures?」と声をかける。字幕では「君は映画女優?」といった風に訳されていたが、この「picture」は「映画」という以外に「絵」を指す単語でもある。つまり先の台詞は「君は絵の中にいる?」とも訳せる。確かチャーリーとの会話でも、「映画」は「picture」と言われていなかったか。

勿論、この台詞が無くとも、ここでの美女との出会いの光景が、バートンがホテルでの執筆に用いていた机の上に飾られていた絵との類似性を示唆している事は、誰の目にも明らかだ。バートンにとっての執筆行為は、この絵と(更にはチャーリーの箱と)向き合う事だった。最終的にバートンは、雇い主である社長から「給料分、脚本は書かせるが、制作はしない」と宣告される。無為の行為としての執筆。バートンは、ラスト・カットのような平面的な映像に自身が入り込む事でしか、映画に到達し得ないわけだ。

この映画の構造は、ルネ・マグリットの、キャンバスに描かれた絵がキャンバスに描かれた絵の中に描かれてある絵、『人間の条件』のようなもの。バートンが海辺の美女に言う「Are you in pictures?」は、同じくマグリットの『これはパイプではない』での、パイプの絵の傍に書き込まれた「これはパイプではない」の文字のように、バートンの眼前の美女が、虚構としての「picture」である事への自己言及のようなもの、だろう。画的にあからさまにマグリット的なのは、山高帽子が出てくる『ミラーズ・クロッシング』だけど。

また、主人公バートンの姓「Fink」は、密告者、裏切り者という意味の他、上質の毛皮を得る目的でかけ合わされたミンクと白イタチの合いの子が失敗したものを指すらしい。「精神と肉体の闘い」の失敗例としての彼に相応しいと言えるかも知れない。

(評価:★4)

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