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[コメント] 裸の島(1960/日)

台詞を禁じる手法が実験的とは言えるが、その喜怒哀楽のドラマはむしろ単純化され、分かり易すぎる感もある。殿山泰司は肉体で懸命に演技しているが、その「台詞が聞こえてきそうな」演技は無言のままに多弁にすぎ、虚構じみてもいる。
煽尼采

**ネタバレ注意**
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乙羽信子が扱ぐ小舟の上で、夫役の殿山はいかにも暑そうな顔をして座っている。一言も発しなくても、「あっちぃなあ」という台詞が聞こえてきそうだ。つまり、顔面が多弁。個人的には、そこにあまり良い印象を受けない。台詞を禁じられた反動も有ったのだろうけれど、殿山は顔面で演技しすぎなのだ。人は、あんなふうな、訴えるような表情をして生きてはいないように思う。子供が魚を釣り上げたのを褒める殿山の、全身で喜びを表すオーバーアクト。黙々と水を運んでいるシーン等は、よけいな自意識が封じられていて良いのだが。一方、乙羽は、喜怒哀楽を露わにしている時にも、その表情の裏に、更なる奥を感じさせ、自然とその空間に溶け込んで存在して見えた。

台詞を封じるというアプローチが徹底されすぎているせいで、長男の体に異変が起こるシーンでは、小舟で島に向かう両親に向かって必死に手を振る次男や、長男を抱くようにして心配する乙羽らが、一言も発しないのが不自然すぎる。また、長男の葬儀の際、次男だけが島に置き去りにされるのも不可解。島での唯一の遊び相手だった兄を失った次男の孤独を、皆を乗せた舟を独り見送る次男を捉えたショットで演出しようという意図だったと見えるが、演出家の観念的な企みが見えすぎて白けさせられる。

一方、夫婦が島の坂道を何度も往復して水を運ぶ様子は、天秤棒を通して乙羽の肩にかかる重量、斜面にバランスを崩されそうになる足許、桶の中で水が跳ねる音、下から上へと向かう歩みを延々と捉え続けるカメラ、といった要素によって、その労苦が体感的に伝わってくる。周囲を海に取り囲まれる中で水を後生大事に運ぶ姿によって、畑にまくことの出来ない塩水の辛さが感じられ、よけいに喉の渇きを覚えさせられる。乙羽の表情と共に、背後の、下方に広がる海が捉えられたショットが、坂の高さ、つまりは労働の厳しさを感じさせる。仰角で彼女を捉えたショットでは、空の高さと、モノクロでも伝わる澄んだ青さが印象的だ。反面、毎日のように繰り返してそうした作業を行なっている農婦が、乙羽のような覚束ない足取りで坂を登ったりするものだろうかとも思える。

水を汲む場所や、長男が通う学校、また夫婦が、年貢を納める農民のように訪ねていく、悪代官じみた男、子供らが釣った魚を売りに行くシーン等、彼らの生活が町に依存している様はよく分かるが、何か過剰に演出されすぎている感もある。特に、町でテレビを見かけるシーンでは、そこに映し出された女性ダンサーの映像がどうにもシュールなので、一家と町との距離感というものを突き抜けて、観客の方までもキョトンとさせられてしまう。色々と匙加減を間違えている映画だ。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ペンクロフ[*]

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