[コメント] ナイト・オン・ザ・プラネット(1991/米)
遠近法の止揚としてのオムニバス群像。愛すべき世界に遍在する、愛すべき群像、それを一挙にそして等分に捉えようとする究極のパンフォーカス? しかし……
まずは身勝手な第一話(L.A.編)解釈から。
ここでいう遠近法とは、ある特権的な視点から全てを眺め見渡そうとする姿勢一般のことである。こと映画に限るなら、映画創生以来つねに支配的であったハリウッド中心主義的なイデオロギーのことだと言ってもいい。ジーナ・ローランズ演じるところの映画プロモーターはまさにその象徴である。そして、女優にならないかという彼女のオファーを一蹴するウィノナ・ライダーの姿には、「今はしがないタクシー運転手、でもいつかは女優で身を立て大金持ちになってやるわ」的なハリウッド成功神話イデオロギーなど歯牙にもかけない清々しさがあふれており、そこに私は、ハリウッドなしに映画は続いていくであろうしまたこの俺が続かせてやる、という生粋のニューヨーク・インデペンデントたるジャームッシュのフレッシュな気負いと矜持を勝手に重ね合わせた。そして勝手に感動することにした。
同じ時間・異なる場所でそれぞれの生を生きるタクシードライバーたち、おそらく監督が獲得したかった視線は、遠近法を止揚し、その愛すべき群像たちへ等分に愛を注ごうとする究極のパンフォーカス。しかしそれにしても、拡げたその舞台がアメリカとヨーロッパだけに限られていたというのが何ともはや……。それでも根強く支配するヨーロッパ中心主義的なイデオロギーからは逃れられなかったということか。ベアトリス・ダル、トム・ウェイツ、うーんやっぱりこの頃もっとも輝いていたウィノナがイチバン良い。
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