[コメント] 時計じかけのオレンジ(1971/英)
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粗筋は4コマ漫画で説明できるほど単純。見所は、クールでポップな映像美。動きが妙にリアルなペニス・オブジェや、四角錐が沢山並んだ布団、乳首からミルクが出る彫刻etc、思わず欲しくなるグッズが続々登場。
キューブリックの前作『2001年宇宙の旅』では、腹を空かせたヒトザルが、動物の骨を見て、それを使って獲物を殴り殺すことをイメージする場面で、人類の「道具の使用」の起源を描いていた。そして映画は、道具が武器からメディアへと進化していく過程を表現していたのだけど、この『時計じかけのオレンジ』では、イメージの強制摂取であるルドビコ療法を受けたアレックスは、瞼をムリヤリ開かされての暴力映像の洪水に、吐き気を催す。イメージの洪水にさらされた人間の、知覚の変容という点で、スターゲートのパロディ?
現実の暴力より、映画の暴力に苦痛を覚えるアレックスの倒錯が彼を、治療前は他人への暴力に駆り立て、治療後は他人からの暴力を甘受させる(「不思議なことに現実世界の色が本物らしいのはスクリーンの上でだけ」)。抑止効果としての暴力映像そのものが肉体的暴力だという皮肉。実験中、彼は涙を流している?いや、それはただの化学薬品。‘暴力衝動の反作用として善を志向する逆説’も、いつどちらに反転してもおかしくない。善を自ら選択する意志がどうのと語る宣教師も、聖書の描く恐怖の神罰を‘ビディー’った奴であり、アレックスと同じ穴のムジナ。ニーチェ曰く、聖書は「弱者の血に飢えた復讐心の産物」。神は最もウルトラ・バイオレンスな奴なのだ。小児的欲望への永劫回帰、ニーチェ的超人の戯画としてのアレックス。『2001年...』でボーマン船長がグラスを割る場面は肉体の儚さを感じさせたが、アレックスは真っ赤なワイン=血を飲まされている。
「SEXと暴力は最大の娯楽」(by.庵野秀明)。キューブリック作品も例外ではない。アレックスが聖書の暴力場面を想像する所なんて『スパルタカス』のセルフパロディっぽいし、「作曲者に罪は無いのに」なんて台詞には、『博士の異常な愛情』や『フルメタル・ジャケット』の皮肉な挿入曲を連想させられ、ニヤリ。本作最大の皮肉とは、この自滅的自己言及?
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