[コメント] ゾラの生涯(1937/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ゾラは、序盤に描かれていた苦闘の末に手に入れた地位と名誉と富をかけて、敢えて不利なドレフュス擁護に立つのだが、彼が文壇の寵児となれたのも、世間から爪弾き者にされている娼婦ナナを匿った事が縁だった。ドレフュス擁護は、その原点への回帰という訳だ。
音楽でたびたび引用される、フランス国歌“ラ・マルセイエーズ”の旋律。「フランスの自由と正義は世界に伝わるだろう」という台詞が英語で言われている事も含め、フランスを称賛する言葉がそのままアメリカを讃える言葉として聞こえるのも、ここまで単純素朴にやられると、却って微笑ましい気もする。
演出は直球勝負。ドレフュスが軍人としての地位と名誉を、文字通り毟り取られる光景。群衆の憎悪の熱狂。牢の中で、ボロボロになり蟻が群がっている、ゾラ著『パリ』。彼に妻から送られた手紙の、夥しい検閲の黒塗り。彼が送られる島の名「悪魔島」が出てきた時には、いくらなんでもベタに過ぎるだろうと感じたが、実際、こんな名前だったらしい。
ドレフュスが、苦難の末、遂に牢から解放される場面は、やや変化球の演出が為されていて、驚かされる。牢から出て行こうとするドレフュスは、自らに与えられた自由が信じられないのか、或いはその至福の瞬間を繰り返し味わおうとしているのか、二度ほど牢に戻って、出口との間を往復する。数々の印象的な場面の中でも、これは白眉。
画的に印象的なのは、裁判所前の夥しい傘の群れだ。これはまた、『ナナ』の大ヒットを初めて知る時のゾラが、傘一本を買う金にすら事欠いていた事も想起させる。傘を差す人とは、かつてのゾラやセザンヌ、ナナ、橋の下に屯していた最下層の人間たちのような日陰の人間ではない、普通の市民の象徴ともとれる。
もうひとつ気になる小道具が、冒頭のセザンヌとの共同生活で登場していた暖炉。嘘を並べたてる本を燃やして、正しき人間を温めてもらおう、と、本を暖炉に放り込む二人。ゾラは映画の最後、史実通りに暖炉のガス漏れで亡くなる訳で、単なる事故死に見えるこの死因に、ゾラの殉職という象徴的な意味が与えられたと言える。また、あのドレフュス事件は、右派と左派がフランスを二分する思想的な闘いの域にまで達した事件でもあり、ゾラは右派に暗殺された、という説もあるらしい。
死の直前、執筆に勤しむゾラは、「いつでも明日は来るわ」という妻の言葉に耳を貸さず、ペンを走らせる。そして、その彼に明日は来ない。劇中、フランスが侵略の脅威にさらされる状況が描かれているが、これによって、軍人を批判する事へのハードルが高められていると言える。ゾラの死に様は、彼が法廷で訴えた「国に貢献する方法は人それぞれだ。私は剣ではなく、ペンでそれを為す」という言葉に真実味を与える。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (1 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。