[コメント] 奇跡の人(1962/米)
母親の暖かく優しい「感情」は、確かに人間が生きてゆく上で、大きな支えとなるだろう。「優しい」人が、たった一人でもそばにいてくれれば、ヘレンはずっと「生命を維持する事」は出来る。しかもそれなりに「幸せ」に。「言葉」なんか必要はない。一心同体で、お互いに「きもち」が通じさえすればいいのだ。
しかし、対するサリバンは、「理性」による思想を持って存在している。そして、ヘレンに自分以外の世界に対する「コミュニケーション技術」を身につけさせようとする。彼女は、ヘレン自身とその母親の、悲しみや不安や不満を、「その場」では頓着しない。それは、母たちにとってはひどく「冷たい」行為に感じられる。けれどサリバンは、闇雲に相手を苦しめようとしているわけではない。彼女の視点はその先に在る。ヘレンに「社会性」を、身につけさせる事だ。コミュニケーションとは、自分を否定しない環境に安住するのではなく、自分とは違う環境や、存在や、考えを理解出来る力だと思う。
人は、「独りきりで生きていては限界がある」。だから、そのために、人は人を「独りきりでも生きて行けるように育てる」のだ。矛盾しているようだが。「社会性」とは、その実、ヘレンが言葉を話せる話せないの、能力の問題でもない。たとえもっと重い障害であっても、その存在の可能性を追求する事なのではないかなと思う。そのように「教育」を行う事は、本当に相手に対して単なる「冷たい理屈」なのだろうか?
「あなたはそのままでいいのよ」と、永遠に囲い込み続け、変化させない事は、果たして「やさしいきもち」なのだろうか?実はひどく子供に対して残酷な行為なのではないのだろうか?(これは反語ではなく、本当に素直な疑問である。そう言う「正義」もあるのではないかと言う気もするからだ)
・・・・・・・・映画評になってないようで心配・・・(汗)。
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