[コメント] ミラーズ・クロッシング(1990/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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主人公のトムは、ボスのレオを守るために自ら寝返ったふりをして敵に潜入し、これを内部から崩壊させるという忠義ある男である。ところが私はトムの行動に大きな矛盾を感じていた。それは本当に忠義ある人物ならば、初めからボスの女を寝取るような真似はしないと思ったからだ。誰だって親友の彼女や、尊敬する上司の恋人を奪おうなんて考えないだろう。それを軽々とこなしてしまうトムにボスへの尊敬や友情を感じる事ができないのである。では女を愛していたのかと言えばそうとも思えない。女の弟を敵に売り渡す行為に愛があるとは思えないからだ。私はトムとはどういう人物か知りたくて本編を繰り返し反芻した。そこで私はこの映画の中に、ある演出が繰り返されている点に気がついた。その演出とは「真逆」である。では何が真逆なのか具体的に例をいくつか挙げてみたい。
第一に、かつらの用心棒が死体で発見される場面。(開始17分)この場面はかつらと死体、それに少年と犬という四つで構成されている。次にクライマックスで敵のボス・キャスパーがトムの策略でバーニーに殺される場面と比べてみよう。(開始1時間41分)この場面では、キャスパーの死体と彼の転がった帽子が前述のかつらと死体に一致する。続いてキャスパーの場面では廊下の部屋から老婆が出てきて警察に電話しに出て行くのだが、彼女は「ネコは大丈夫かしら?」と言うのである。つまり少年と犬に対し、少年の真逆である老婆と、犬の真逆?であるネコ、というようなコミカルな演出がされているのがわかる。
第二に、この映画の中で最もインパクトがあるダニーボーイの場面。(開始38分)レコードの調べにのってボスのレオが殺し屋を返り討ちにするという、これぞギャング映画の真髄と言える痛快な銃撃戦だ。しかしこの場面、全体から見ると浮いてはいないだろうか。この映画にはダニーボーイのようなカッコイイ銃撃戦は他にはない。ただし銃撃の弾数だけで言えばサム・ライミ監督の二丁拳銃の場面だけがダニーボーイの場面に匹敵すると言えるだろう。(開始1時間24分)このライミ監督の演じる男は、この場面に突然出てきて、白旗を上げる男を撃ち殺したと思ったら、あっけなくやられてしまう。彼が死んだ後も撃ち合いは続くのだが妙に平坦で面白みのない銃撃戦になっている。つまり、この二つの場面を比べると「カッコイイ銃撃戦」と「カッコ悪い銃撃戦」となり、さらに「男らしいボスが撃つ」と「どこの誰かもわからない男が撃たれる」であり、それを演じるのも「実力俳優」と「素人俳優」となり、この二つが真逆の演出であることがわかる。さらに言えばダニーボーイでは撃たれたギャングが反動でマシンガンを乱射し、その弾痕が一周して円を描くという「撃たれてもなかなか倒れない男」であるのに対し、ライミ監督の場面は「撃たれてすぐに倒れる男」という対比になっている。ちなみにマシンガンの「円」は、ライミ監督が水平的な銃撃でやられるという「直線」と対極でもある。
第三に、これは映画のDVDの特典を見て初めて知ったのだが、主人公トムが女だらけの化粧室に入るシーンで、ボス役のアルバート・フィニーがメイドに女装している姿がほんの一瞬だけ映っている。(開始22分11秒)これは別にストーリーとは関係ないお遊びであるが、劇中では男の中の男というイメージのボスが女装の姿を見せる事で観客に真逆のイメージをサブリミナルに植え付ける意図があったと考えられる。この映画には他にも真逆の例がたくさんあり、この作品のテーマが「真逆」であることはほぼ間違いないと言えるだろう。ということは当然、主人公トムにも真逆の一面が隠されている、という可能性が考えられるのだ。
そこまで考えてみたものの、その答えがわからず私は行き詰っていた。しかしある時、ふとタイトルの原語を見てハッと気づいた。「ミラーズのミラーのスペルが違う!」(皆さんはとっくにお気づきかもしれませんが私は昨日初めて気がつきましたw)鏡はmirrorなのにタイトルはmillerなのはこれ如何に?ってゆーかmillerってなに?辞書で調べても単語自体に大した意味はなく、おそらく人名かと思われるが、そんな人物は登場しない。前述の真逆の例や、劇中にたびたび使われる鏡を使った場面から見て、「鏡」がキーワードなのは間違いない。ではなんのためにmillerにしたのか。ここにこの映画を読む解くヒントが隠されていた。mirrorとmillerの発音の違いは「R」と「L」である。Rはライト、Lはレフト、そして鏡・・・つまり「左右反転の真逆」こそがこの映画のキーワードだったのだ。
ということは、忠義に厚い人物に見えるトムにも真逆の見方があることは間違いない。ではトムの行動原理である「ボスのため」という理由の逆を考えてみよう。ボスのため、すなわち誰かのため、ではその逆は・・・「自分のため」と仮定できる。それではトムの行動が「自分のため」だったかどうかを検証してみよう。彼の行動全体を振り返ると、ボスの女を寝取る時点でボスへの尊敬が感じられない事、そしてヴァーナへの気持ちも彼女の弟を売る行為からみて愛があるとは考えにくい事から、彼の行動には一貫性が感じられない。そんなトムが映画の冒頭から最後まで一貫していたものが一つだけあった。それはバーニーの排除である。
なぜトムはバーニーを排除したかったのだろうか。当然ボスのレオを守るためという理由もある。だがトムがバーニーを殺したのは、敵のボスが死んだ後、すなわちもう殺す理由がなくなってからである。(1時間45分)ということは戦争うんぬんは関係なく、トムはバーニーを消したかったと解釈できるのだ。ならばその理由は?ここでバーニーがいなくなる事で起きる事態の変化を予想してみた。そこで浮かび上がるのは、バーニーがいなくなる=ヴァーナがボスの女でいる必要性の消滅、という方程式である。つまりトムはヴァーナをボスから引き離す事が目的だったのだ。それもヴァーナを手に入れたいからではない。彼は映画が始まってすぐにバーニーの引き渡しをレオに促すが、これを拒まれていた。つまりヴァーナの存在により、自分の主導権がぐらついていたのだ。そこでトムはヴァーナに浮気をさせることでレオとの仲を引き裂こうとしたのである。つまり彼が守ろうとしていたのは「ボス」そのものではなく、そのボスを影で操ることができる「自分の地位」だったと言えるのだ。そう考えればボスの女を寝取る行為はボスと女を別れさせるためであり、なおかつ女から弟の居場所も聞き出せるという一石二鳥の作戦だったとして納得がいく。このようにトムは、ボスのためという表向きに対し、裏では自分の地位を守るためという目的を隠し持った真逆の人物だと言えるのだ。
やがてトムは味方も敵も欺くことで目的を達成し、レオの事務所へ帰ってきた。(開始1時間46分30秒)この時点の彼にレオと別れる意思は感じられない。そうでなければわざわざレオを訪ねる理由がないからである。それなのに彼は墓場でレオの元を去る選択肢を選んだのはなぜか。それはヴァーナとレオの結婚である。自分の地位を守るため、ヴァーナとボスを引き離そうとした彼にとって、レオとヴァーナとの結婚は決定的な敗北を意味していた。そもそもレオとトムはボスと片腕という関係であるが、その役割は頭脳がトムで手足がレオという真逆の関係でもあったのだ。言わばトムにとって今回の一連の行動は、ボスという自分の受け皿を自分の手に戻そうとするための賭けだったと言え、その真の敵はヴァーナだったのである。思えば映画序盤でトムはカードに負け、帽子をヴァーナに取られているが(開始9分)、これは結末の予兆でもあったのだ。
ここでヴァーナがなぜ結婚を申し出たかについて考えてみたい。彼女は弟を守るためにレオの愛人になっていたが、レオを裏切りトムとできてしまう。しかしトムは彼女を愛してはおらず、逆に弟の居場所を聞くために利用する。そしてトムが弟を売った事がばれ、トムの裏切りを知ったヴァーナは彼の元を去る。(開始1時間39分)彼女はレオを裏切ってしまった事を恥じており(開始53分)、彼への償いの意味も含めてレオの愛を受け入れた、という解釈ができるのだ。つまり、罪を認め償おうという彼女の「汚れなき心」が、嘘と裏切りばかりのトムの「汚れた心」に勝ったのである。これは前述のかつらの死体の場面に繋がっている。かつらという言わば「嘘」を少年という「汚れなき心」がはぎ取ったように、ヴァーナもトムの偽りの帽子を吹き飛ばしたのである。ラストでヴァーナが奪った黒い車のシルエットは、どことなくトムが持っていた黒い帽子のシルエットに似ており(1時間47分42秒)、彼女こそが夢で見た帽子を吹き飛ばす突風だったのである。こうしてギャンブルに負けたトムは、「自分の負けは自分で払う」という己の信念に基づき自ら身を引いたのであった。
このように、この映画には「左右反転の真逆」な意味があり、そのどちらの意味を取るかは観客に委ねられている。感動に浸りたい方は「トムはボスへの忠義のために命を賭けて戦った」という選択肢を選ぶといいだろう。クールな主人公にスタイリッシュな映像、そして抒情的な音楽はあなたを感動の世界に導くだろう。そして少々ひねくれた方は「トムは自分の地位のためにみんなを騙した」という選択肢を選ぶといい。自分しか信用できない男が周囲を裏切り、ついには一人ぼっちになってしまう姿に憐みの情が浮かぶであろう。さてこの十字路、あなたはどちらを選びますか?(2010.6.28)
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