[コメント] さらば夏の光よ(1976/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
『わたしが棄てた女』は醜女の話だったが本作は醜男の話。『深い河』もそうだった。長編小説の整理能力はそれなりに長けたホンだと思う。波乱万丈に三角関係が次々と新たな局面に晒され、その度に仕方ないなあという感慨がもたらされる。 「いい人だから好きになれってのは無理よ」と郷ひろみを恋慕していた秋吉久美子が、モテない君の川口厚に「あなたっていい人ね」と告げるとき、観客の満足は充たされるのだが、川口は「男と女は努力ではどうにもならないんだ」の悟りを開くに至る。
私生児とか、エロ店長とか、「俺を男にしてくれ」とか、保釈金200万円とか、色んなことがあり過ぎて、秋吉がノイローゼになり「みんな私のせいよ」と泣く辺りになるともう、どうしようもないと判ってくる。
川口の死んだ後の、秋吉の「私たちは3人で一揃いだったのよ」という総括はとても聡明だ。そもそも男女が3人寄るのが無茶だよ、という証明が90分続いたのだが、それでも秋吉は3人で一揃いと云う。そのような、不可能を可能にしようとする視点、これこそがカソリックなんだろうと思わされ、感慨を覚えた。
郷ひろみは蓮實重彦が褒めていたのを覚えている。脇役のできないタイプだ。山根映画はやっとはじめて観れた。ジュウシマツの番とか、フラれてほどく編み物とか、彼女の名前で埋まったノートとか、小物使いが古典的な演出。肝心な件はナルセのように橋の上か橋の下のロケーションが多用された。私的ベストショットは雪の公園を疾走する郷。バイト風景など描かれるロッテリアは協力企業。創業は72年とのこと。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (1 人) | [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。