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[コメント] バタリアン(1985/米)

オバタリアンの造語のお陰で元ネタの『ナイト・オブ・リビング・デッド』より有名になってしまった。
甘崎庵

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 この映画の原題『The Return of the living dead』を見れば分かるとおり、本作品は『ナイト・オブ・リビングデッド』のオマージュにあふれた作品である(パロディと言ってはいけないだろう)。劇中でも墓場掃除人同士の会話で「ナイト・オブ・リビングデッドの映画を知ってるか?あれは実際にあった話だ」等という発言がある(ちなみにテレビの邦訳は「夜のゾンビ」というセンスのかけらもない題目になってるけど)。問題はこの作品の出来があまりに良かったため、しかも「オバタリアン」などという造語のため、日本ではこちらの方が有名になってしまった(日本人にとって漫画が与えるイメージはあまりに大きいことを証明してくれた)。ただ、『ナイト〜』にあった「人間とは何か。生きるとは何か」と言う根元的な問いはすっぱりと抜け、純粋なエンターテイメントと化している。

 本作品は『ナイト〜』のオマージュにあふれているが、決してそれに留まらない。甦ってくる死体達がとにかく元気(?)なのだ。通常リビングデッドものでの死体達は知性を失い、身体を引きずるようにして動くのが普通だが、ここでは走るし、怪力だし、話したり罠を仕掛けたりする知性を持つ。しかも脳味噌を破壊されようがバラバラにされようが身体の一部さえ残っていればそれだけで動き回るし、しかもそれを焼却しようにも、灰が死体蘇生薬になってしまうし、最早敵としては完璧な存在となっている。

 又、生きている人間も薬を浴びればリビングデッド化するため、野外でストリップ(!)していた女性が裸のまま人を襲うようになったり、最初は愛を語っていた恋人に襲いかかるようになったりと色々ヴァリエーションも豊富。

 人の脳味噌を食べようと言う指向性も意外に物語を一貫とさせる効果を挙げている。死んでいるのに生かされていると言うのは苦痛であるため、その苦痛を和らげるために人の脳味噌を食べる必要がある。と言うことを彼ら自身に語らせるのも良い。

 ところであのオチだが、私の周りの人間は、「よく分からなかった」とばかり言っていた。「酷いオチ」と言う人もいたが、要するにあんな局地的な事件を治めるのにミサイルまで使うか。と言うことでそう言うことを言っていたらしい。だけど、あのオチはそれだけで終わったわけではない。ミサイルによって、アメリカ中に灰が分散してしまい、アメリカ全土でリビングデッドが増えていくだろう。と言う予兆で終わっている。

(評価:★4)

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