[コメント] イル・ポスティーノ(1995/仏=伊)
映画を見終った人むけのレビューです。
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前近代的なことが平気でまかり通っている「ど田舎」。あそこにはイタリア全土を覆っていたと思われる「社会主義の波」が全くこない。現代から孤立した場所(島っていうのがまたすごい)で、近代的教育による知性の獲得が全くなされていない者の住むところ、それが「ど田舎」(すいません、私も田舎に住んでいるということで勘弁してください)である。
なぜ、そうなったか。当然貧しいからだ。貧しい、かつかつに働かないと生きていけない、教育なんてそんな余裕はない、周りについての知識はない、知らないことについては何もわからない、現状を受け入れるだけで変えようとしない、変え方を知らない、というようなのが、典型的「ど田舎」像だ。で、19世紀頃の産業革命系列で蒸気機関車なんかができて、人々の交流が盛んになり、「なんか変だぜ」と思った人たちが起こしたのが「社会主義運動」。あの島はほんとに「島」だったから、その波に取り残されちゃったのね。よって、相変わらずかつかつの生活をしたまま、何かを考える余裕のない人ばかり。
マリオが何で字が読めるのかはあの映画にはでてこない。謎。でもあの話を成り立たせるためには必要だから許そう。あやつは親父さんの失業保険で食っているらしいすねかじり。でも、あくせく働く必要性がないため、心には余裕がある。「このままあくせくやっていくだけなんてバカみたいだ」と彼は考える。でもなぜそう自分は考えるのかはわからない。言葉を知らず、知識がないからだ。
そこで彼は「言葉の達人」詩人と出会う。しかも彼はあの時代の象徴「社会主義」まで身につけている。マリオにとっては外界との初めての接触だ。
彼は教養を身につけていく。はじめは詩人の作品をなぞり、それを通して言葉、言葉によって表現される知識(女を落とすテクもここに含まれる)を身につける。知識の実践、さらに彼は自分の言葉を生み出していく。そしてついには時代の流れに入り込むにいたる。近代人の仲間入り(あの時点で)だ。
彼は死んでしまう。現代は競争社会で、勝った者だけが生き残る時代だから(かな)。新しい物は常にいいとは限らない。変化はつらいものでもある。彼は生き残れなかった。生き残るパブロ・ネルーダの悲しげな表情。「教えるんじゃなかった」と思っているのだろうか。
でも、この映画を見る私はそうは思わない。マリオは求めていたことと出会ったのだ。彼が嫌っていた世界以外にも世界はあるということを知ることができた。もちろん美人のお嫁さんもゲットできたのも良かった。彼は死の直前、間違いなく幸せだったと私は確信する。
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