[コメント] 限りなき前進(1937/日)
内田吐夢監督によるこの作品は戦前の昭和12年(1937年)に公開されその年のキネマ旬報ベストワンに選出されました。
内田は、昭和17年に所属していた日活多摩川撮影所が大映に吸収されると、松竹で一本だけ撮ってから、「満映」の在った当時の満州へ渡り、ここで劇的な終戦を迎えるのですが、昭和28年(1953年)までの実に8年もの長きに渡り中国大陸に留まることになります。
『限りなき前進 改編版』はこの内田不在期に内田に無断で再編集され公開されました。これは恐らく大映、或いは日活配給部(後制作を再開)の仕業だったと思いますが、阪妻の『恋山彦』にしても『忠臣蔵』にしても『牢獄の花嫁』にしても、我が愛しの戦前日活の作品の多くは、見るも無残に切り刻まれ改竄されてしまっていることが殆どのようです。しかもオリジナル版のネガなりフィルムなりは全て処分してしまっている様子ですから、もう最悪と言う他ありません。
『限りなき前進』はそういう作品の中でも最も酷い扱いを受けた例といえるでしょう。帰国後この改編版を見た内田が激怒したというのも頷けます。
これ以降ネタバレとなりますのでお読み下さる方は予め注意をしていただきたいのですが、その改竄の具体的内容とはこうです。
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物語の祖筋はこうです。
A:52歳のしがないサラリーマンがいる。長女の結婚が迫ってい、また新居を建設中である。新居は物価高騰の煽りを受け工事が滞っている。小学生の長男はカメラを買ってくれとしきりにせがむ。
B:サラリーマンは妻と65歳の定年までの見積もりを立てる。苦しいがなんとかやっていけそうである。
C:サラリーマンの会社は増資を期に雇用システムを改編する。重役以外の定年は10年早い55歳と決定する。サラリーマンは大いに焦る。
(D):サラリーマンは失意のどん底で酒を呷る。どしゃぶりの雨の中、建築中の新居に立ち寄った彼は家が倒壊する幻想を見、そのままぶっ倒れる。知り合いに救助された彼は昏々と眠り続け夢を見る。その夢とはこうだった。
E:サラリーマンは部長に昇進する。重役連中にゴルフに誘われる。新居も無事完成。娘の縁談も来た。カメラも買った。家族は幸せで一杯である。
(F):翌朝目を覚ましたサラリーマンは会社に出勤するが明らかに様子がおかしい。課長であるのに部長の椅子に座ったりする。サラリーマンは戸惑う部下を高級料亭に誘う。様子を怪しんだ誰かがサラリーマンの自宅に電話する。
G:高級料亭でご満悦のサラリーマン。今夜は俺の驕りだと歌まで歌ってみせる。
(H):家族が料亭に駆けつける。サラリーマンは完全に気が違ってしまったようである。家族は彼を家まで送り届ける。終わり。
A〜Hまでで表したパートの内、改編版は( )で括られたD,F、Hの部分をカット、Gで終幕させています。カットされた部分を飛ばして読んで貰えばお分かりいただけるように、サラリーマンの狂気は完全に闇に葬られ、その夢は現実と、その振る舞いは正常な行動へと刷りかえられてしまっているのです。
僕が観た京橋フィルムセンター所有のフィルムは、残存していた「改編版」にカットされたシーンを説明する字幕を挿入したものです。生前の内田の了解は得ているとのことです。
僕はこのフィルムを観、戦前映画らしかぬ大傑作、リアリズムとシュールリアリズムの最も残酷な邂逅、と感動すると同時に身の毛がよだつ程の恐怖を感じました。 作品が作者の手を離れ無断で改竄されてしまうことの恐怖、そしてそれが「教育」「治安」「配慮」「社会正義」とかいう美辞麗句の元で何の疑いもなく遂行されてしまった事実に対する恐怖です。
これはまるであの忌まわしいロボトミー手術と同じではありませんか。恐るべきはGHQ、そしてそれに怯えながら従わざるを得なかった犬たち。このとき世界はなんと息苦しかったことだろうか。
21世紀を迎えた今日、世界全体がこの息苦しい時代に舞い戻ろうとしているようで気が気じゃありません。世界平和を歌う「イマジン」は「遺族への配慮」のため放送禁止に処され、『ET』のモデルガンや「アビーロード」の歩き煙草は「青少年の育成」のため差し替えられる。そしてその代わりに作られるのは派手なばかりで押し付けがましいプロバガンダ映画と当り障りの無い恋の歌ばかり。
どうか、世界を退屈に陥れる人々よ、頼むから死んでくれ。一人残らず死んでくれ。
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