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[コメント] ゴジラ対メガロ(1973/日)

ウルトラセブン』第42話「ノンマルトの使者」(1968/日)。日本の特撮史上『ゴジラ』(1954/日)に比肩するほどの特筆すべきテーマを描ききってしまった脚本家がいた。本作はそんな「オキナワ」出身の金城哲夫に書かせるべきだった。
sawa:38

海底に棲むノンマルトという一族がいる。「海はノンマルトのもの」と主張する一族に対し、地球防衛軍とウルトラ警備隊は当然のようにそれを攻撃する。

だが、モロボシ・ダンはひとつの疑念を感じる。彼の故郷M78星雲ではかねてから地球人のことを「ノンマルト」と呼んでいたことを・・・。「ノンマルト」が地球の先住民なのだとしたら・・・。

地球人を守る為に共闘してきたセブンとウルトラ警備隊だったが、セブンが守るべき相手は先住民ノンマルトであって、彼等を迫害追放した地球人こそセブンが闘う相手なのではなかろうか?

以上が『ウルトラセブン』第42話「ノンマルトの使者」の概略である。子供向けTV番組でありながら、奥深いストーリー性を持つ『ウルトラセブン』の中でも際立って衝撃的な内容で、平成版『ウルトラセブン』シリーズにおいてもこの42話が大きなモチーフとして制作されている。

被害者ではなく加害者としての人間。そこに内包される悲しみと怒りは、日本とアメリカに占領統治された沖縄出身という脚本家金城哲夫の存在が大きい。

本作『ゴジラ対メガロ』では同じような題材・設定を用いながらも、そこに問題意識は無い。『ウルトラセブン』でキリヤマ隊長が一族を根絶やしにした爽快感を何の問題意識もなく流用している。人間側にとって今回もまた「対話」は無かったのだ。

本作はゴジラ映画である。人間の創りだした核によって生まれたゴジラ。彼もまた人間による被害者であろう。ゴジラはメガロと共闘し加害者としての人間に闘いを挑まなければならなかったんじゃないだろうか?

想像して欲しい。金城哲夫という脚本家が本作を担当したとしたら・・・・とてつもないドラマが生まれたのではないか?『ゴジラ』(1954/日)は自然界による報復であって、ゴジラは天災やB29爆撃機といった災いであり、我々は被害者であるという側面もあった。だが、本作のような設定ならば加害者、さらに言えば殺戮者としての人間とゴジラとの闘いが描けた筈なのである。

実に勿体無い機会を逸したものだ。どこをどう考えればこんなふざけた脚本が出来上がるのだろうか?田中友幸というプロデューサー、この人の邦画における功罪はあまりにも大きい。

(評価:★1)

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