[コメント] アルジェの戦い(1965/伊=アルジェリア)
マチュー中佐が入ってきて、拷問された男に軍服を着せるが、左胸に大きなアザがあり、後のシーンなどから、バーナーの火を胸にあてられた痕かと推測する。この男はアリの居場所へ案内させられる。これは1957年のシーンだ。カスバの建物の屋上に沢山の見物人。階段の途中のドアを機関銃で撃ち、中へ突入する。壁の中の隠れ場所。その中の男女と子供とアリ。
こゝから、1954年に時間を遡る、劇映画らしい構成なのだ。アリが登場し、彼がプロットを引っ張り出すと、あゝこの映画はアリが主人公なのだと認識する展開だ。子供からメモが渡され、メモに従い女と一緒に警官をつける。女から渡された拳銃で警官を撃つが、しかし弾が出ない。アリは試されていたのだ。このあたりも、娯楽映画っぽい。信用された彼は、民族解放戦線の組織の一員となる。このように序盤はアリ中心のプロットだが、中盤以降になると、アリは主役というよりは、一人の登場人物に過ぎなくなる。
この戦いは、徐々にヨーロッパ人地区とカスバとの抗争であることが分かって来る。海側のヨーロッパ人地区から山の手のカスバへのパンニングショットがいい。カスバに爆弾が仕掛けられ、建物が爆発し、子供たち含めた死骸が運ばれる場面は悲惨だ。その復讐で3人の女に時限爆弾を持たせ、ヨーロッパ人地区に置きに行かせる。カフェとダンスホールと飛行場か。この爆弾の爆発シーンがなかなかしっかり見せていて驚いた。本作の一番の見せ場だと思う。このような造型に緩みがないところが本作の評価が高い要因だろう。
仏軍空挺隊の投入とマチュー中佐の指揮により、民族解放戦線のピラミッド組織(自分の上位一人と下位二人の三人しか知らない関係)の名前を割り出していき、一人ずつ殲滅する作戦を執る。これにより、最後はアリ一人、という状況まで追いつめられたのが、冒頭のシーンだ。この後のアリと子供らの顛末の描き方もタイヘン迫力のある演出だが、全体に戦争映画と云うよりは、ギャングの抗争劇のような映画だ。初期の中島貞夫の映画みたいな部分が多いと思いながら見た。最終盤の群衆シーンは、こゝは記録映像だろうと思いながら見たが、見終わって調べると、本作はニュースリール等の映像は一切使われていないらしい。これには驚いた。
時代的な流行の中にあったのだから、このズーム使用の嵐を許容すべき、という考えもあるだろうが、現在の私の目から見ると、しかしどうしても安っぽい画面に見えてしまうのは否めないのだ。ズームは、ゆっくりした品の良いものから急激な(素早い、安っぽい)ものまで無数にある。
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