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[コメント] Love Letter(1995/日)

どうしようもない<中学時代>とどうしようもない<過去>。しかし、だからこそイトオシイもの。
蒼井ゆう21

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「強制収容所のようだ」、というセリフも出てくるように、中学時代、というのは高校時代と比べると周りも自分も不自由であり、小学時代と比べると、自分ではどうしようもできない現実がある、という点では共通しているものの、不自由の中の自由度は減り、またそんな現実に自覚的になる時代だと思う。また、自分、というのも不器用で、頼りないものでしかないものであり、それに自覚的にしろ無自覚的にしろ、いらいらしているものだと思う。そんな不自由さ、というものはあの当時誰しもが抱えていた最低限の前提であったような気がする。そしてたぶん岩井さんにとってもそれは例外ではないのだろう。 そんな<どうしようもなさ>、という点で共通しているものは「過去」であり、「記憶」であり、「思い出」という存在であると思う。そしてうまくいえないのだけれど、どうしようもなさ、というものはいらいらするのと同時に何かしら感傷的であり、イトオシイものを生み出す力があるように思う。

そんなどうしようもない<中学時代>の、どうしようもない<過去>、というものがこの映画では重なりあっている。それがこの映画の魅力のひとつになっているように思う。

■余談ですけど。 ある雑誌で岩井さんも言ってたように、そんな不自由さを前提とした場合、岩井さんにとっては同じ中学時代ものである、「リリイ・シュシュのすべて」のほうが「表」であり、中学時代をよりストレートに描いたものなのだろう。そして、これはたぶん「裏」のほうなのだと思う。

(評価:★5)

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