[コメント] 手錠のまゝの脱獄(1958/米)
どーもアメリカさんは自活する大人の女というものをうまく造形できないようですね。人種差別より根が深い”野郎同盟”の物語。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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銃を持った少年の登場によりいったん棚上げになるんだけど、ジャクソン(トニー・カーティス)とカレン(シドニー・ポワチエ)が逃避行の末にたどり着いた地点は、互いへの剥き出しの憎悪だった。こんな結論もありかな、と思って見ていたのだけれど、その後彼らが友情を温める機会は、本来なかったはずなんだよね。”女”が裏切りさえしなければ。
”女”は浅はかだから、いつも間違った男を選択するんだけど、その選ばれた当人(男)によって”女”の浅はかさが見抜かれることで、間違いが証明される。選ばれた男は、自分を選んだ”女”を袖にすることで仲間(たち)のもとに戻り、男たちの友情は回復する。”女”なんてろくなもんじゃない。
アメリカ映画で繰り返し繰り返し描かれるモチーフですが、この映画の場合、そもそも友情は成立してなかったんだけどねえ。
いずれにしても、脱獄なんか成功しなくても、男の友情が成立すればそれでいい、って言ってますね。そこまでの深い友情を築いたようには見えなかった、ってのが最大のマイナス要因かな。うがった見方をすれば、アメリカ白人男の”野郎同盟(=女嫌いという価値観を共有する)”に、黒人男が(走る列車から飛び降りることで)加盟した、という話。だからシドニー・ポワチエは白い黒人だって言われるんだろう。
70/100(04/07/25記)
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