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[コメント] 銀河鉄道の夜(1985/日)

「薄暗さ」の美学。活版所や、お店での買い物シーンでは、静謐な生活感を漂わせ、星祭の夜では、冷たく澄んだ神秘を。銀河鉄道では、ときに死と宇宙の深淵を垣間見せる。ジョバンニの青い体色が夜の色に溶ける。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







殆ど夜のダークブルーと同じ色のジョバンニだが、微妙に紫がかっていたり、上着の赤いラインが目立っていたりと、完全に風景に溶けてしまわない絶妙な色彩設定。そして、闇の中で大きく見開かれた眼。

ジョバンニと対照的なカンパネルラの、ピンクと赤紫の中間のような色合いは、他の猫たちと比べてもひときわ鮮やかで、彼が特別な存在であることが既にその色彩によって語られている。ジョバンニが夜の色と馴染んでいたように、カンパネルラの色と呼応する風景がきっと現れるだろうと見守っていたら、ほどなくして登場した銀河鉄道の車内、その暖色の背景はカンパネルラの体色とよく馴染んでいる。現実世界ではどこか一人だけ際立っていたカンパネルラは、彼岸の世界である銀河鉄道では周りと溶け合っている。

細野晴臣の、不思議なガラス細工か宇宙のオルゴールかと思わせる音楽が、世界観を構築する。またジョバンニというキャラクターは序盤では、音との関わり合いで世界との関係が描かれていた、とも言えるかもしれない。学校で、すぐ傍に座っている意地悪な級友が、ジョバンニの父さんはラッコを獲ろうとして捕まったんだ、とヒソヒソ話をする場面。活版所で字を拾っていた時に、急に鳴ったボンボン時計のボーン、ボーンに驚いて活字棒組を落としてしまう場面(一方、そこの主任さんは電話が鳴っても時計が鳴っても動じず、どうも耳が聞こえない様子)。帰宅して母と会話する場面では、病気で臥せっているらしい母は部屋の扉の向こうから声だけが聞こえる。ジョバンニが働いているのは、父がおらず、母が病気であるためにそうせざるを得ないのだろうし、母が姿を見せないことも、ジョバンニの喪失の不安を想像させる。どの音も彼の不安や恐れと結びついている。音は、アニメに於いては特に、キャラクターが最も受動的に接する対象ではないだろうか。

途中から銀河鉄道に乗り込んでくる幼い姉弟と家庭教師が人間の姿で描かれているのは、彼らの語る物語のモデルとなったというタイタニック号沈没事件の犠牲者に配慮してだとか聞いたが、やはり違和感がある。人間にしたということ自体は、これはこれで象徴的な意味合いが生まれる面もあるし別に構わないのだが、キャラクターデザインがあまりにも雑。あんな線の弱い頼りないデザインではどうしたって彼らの存在だけ、悪い意味で浮いてしまう。

とはいえ、ランプにぶつかる蛾の鱗粉と、銀河鉄道でカンパネルラや人間の男の子の体についていた水の滴、それは自己犠牲の象徴、光(=ランプ/白い十字架の光)に向かっていく存在の証しなのだろう。このうちの蛾のカットは、ジョバンニが母に、学校で先生に、父さんから貰ったという標本を幾つも見せてもらったと語った後、母から「今度はラッコの上着を持って帰ると言っていたわ」と聞かされた瞬間に挿入されるのだ。息子ジョバンニを想う気持ちが、罪や、ラッコの犠牲を呼び込むということ。

銀河鉄道から、草原へ戻ってきたジョバンニ。母のためにミルクを受けとってから、それを大事に抱えて駆け出すが、カンパネルラが級友を救おうとして川に落ちたことを知らされると急いで駆けつける。この、カンパネルラの身に起きた出来事をジョバンニが知る場面、アニメでは大抵こういうときには、手に持っていた瓶を落として地面にミルクが広がっていく光景で心理的な衝撃を表現しがちだが、ジョバンニは最後までそれを大事に抱えたままでいる。それは、学校で先生が、銀河をミルクに喩えていたことや、病床の母のためのミルクであるから、つまりは、宇宙的でありまたいちばん身近でもある命の象徴だからだ。

(評価:★3)

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