[コメント] MAROKO 麿子(1990/日)
この監督はきっとかなり映画が好きな人なんだな、と思ってはニヤニヤ。
小劇場での芝居を装った設定(*1)も興味深かったが、それゆえかえって作家主義が濃厚な「邦画」と同様の匂いをそこに嗅ぎ、私はそこにパクリではないもっと素朴な「影響の反映」のようなものを感じた。
ああ、そうだ。こうやっていきなりCMのようなカットが入ってしまう映画を清順も撮っていた。そうそう、こんなふうな状況で家族の形態を表層的に保つ話を確か川島の作品で見たことがある。あはは、こうしていきなり拍子木や鼓が鳴ったりするんだよね、喜八の映画では。うわー、この異様に白い顔とともに親子を語られるとどうしても寺山が…。え、この不条理な展開とともに噴出する国家権力へのアナーキーな視線は大島パターン?などなど。
邦画に疎い私が見ただけでもこれだけたくさん連想させてしまうのだから、しかもそれが(アニメゆえかもしれないが)きちんと自分の世界観の中に組み込まれていて二番煎じ的な印象を与えないのだから、ただただ嬉しい。
ひらたく言えば「彼女といやらしいことをしたい」というそれだけのことをえんえんえんえん語る主人公。私は彼に若かりし頃の原田大二郎を見て、そして、そこに青春映画の息吹さえ感じた。
とはいえ私はこの監督のことをよく知らないし、上記の連想した作品も見当違いはなばなしいものばかりだと思われる。ので、機会があったら「御先祖様万々歳」や他の作品ももっと見てみたいと思う。
また、ATGや日本のヌーヴェルヴァーグにくわしい方が見たらどのような感想を持つのだろう。と、それも気になる。
いずれにせよ個人的には、(画風も含め)こういった作品なら「日本のアニメ映画」ももっと見てみたいと思った。
…ゲームがかっためまぐるしい展開やいろんな意味での超人、自分を「ボク」と自称するようなショートカットの美少女(けれど露出度たっぷりで女の匂いが濃厚な服装)、ロボットなどが苦手なのでけっこう難しいのだが。
(*1)
セットと化した背景や独特なカメラアングルもだが、あのえんえんと独白が続く長台詞にこそ、私は芝居小屋の雰囲気を思い出した。が、それは私が押井節なるものを知らないゆえだけなのか?
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