[コメント] プライベート・ライアン(1998/米)
戦闘シーンがリアルなことが却って、自分は今、映画を観ているのだ、ということを必要以上に意識させる。それがとても鬱陶しい。
始まって何十分かの戦争の場面は、確かに衝撃的だった。だが、見続けていると、リアルであるが故に、どうしても製作者側の技術とか、素晴らしい演技をしている俳優とかに考えがいってしまう。それが、私にはストーリーを邪魔しているように感じられた。
あまり戦争映画は観たことがないが、『最前線物語』という作品では、爆撃にあった人間の腕時計を映すことで、その死を伝えていた。すべてを映さないことで、観る側には想像の余地が生まれる。映像にはない部分を想像すると、そこには恐怖がある。
どちらの表現方法をよしとするかは、人それぞれだろうと思う。ただ、個人的には、何もかもリアルにして、明らかにしてしまうことが、すべてにおいて良いとは限らない、と思う。結局、私がどんな戦争映画を観ようと、自分が戦争を知らないという事実に変わりはない。戦争を知らない人間が、戦闘シーンがよくできているとか、できていないとか言うことは、本来なら目撃する立場にない者が、「戦争」に対して持つ、視線の暴力ではないだろうか。実際には見たことがないのに、それがいかにリアルか見定めてやろう、みたいな。
この映画のような、リアルな戦争の場面を観て、“戦争って恐い”と言ったり、感じたりすることはあまりにも簡単である。簡単すぎるから却って、現実の戦争に対する自分の恐怖心を麻痺させることにならないだろうか、と不安にもなった。
戦争の、本物の写真、本物の映像を前に、「ああ、知ってる。腕とか足とか簡単にもげちゃうんでしょ」と、まったく驚かない人間にはなりたくない。
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