[コメント] ハスラー(1961/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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バート(ジョージ・C・スコット)は、エディ(ポール・ニューマン)を"Loser(負け犬)"と繰り返し呼ぶ。才能はあっても人間ができてない。勝つことが不安だからその負ける理由のほしさに酒を飲むと・・・。
これは確かに名分析だとは思うけれど、果たしてそう言い切れるだろうか?
勝負師には、バートのように犠牲を省みず勝つことのみを考える冷酷な人もいれば、エディのように才能はあるけれど大勝負に勝ちきれない人もいる。しかし、勝負師であれば、私はエディほうが気持ちがわかるし、人間性を感じる。
彼はミネソタ・ファッツ(ジャッキー・グリーソン)という強敵を打ち負かしているその瞬間、溢れる興奮と満足感、待ちに待ったその絶頂に「酔い痴れたい」のだ。彼にとって、最終的な勝利などこの絶頂に比べればもののかずではなく、ただ、その頂点に「最高に酔いしれたい」のだ。その後、どん底に落ちようとも、それは次なる絶頂の高まりのために必要なのだ。これをバートが"Loser"と呼ぶのは、なるほど正鵠を得ているが、エディにとっては誉れでもあるのだ。何故なら彼は最低のLoserであると同時に最高のwinnerの感覚を味わった人物でもあるのだから。Loserと呼ばれれば呼ばれるほどあの感覚は麻薬味をおびてくる。
恋人のサラ(パイパー・ローリー)は、エディに「あなたは勝ち犬よ」と言う。この台詞をそのまま「慰め」ととってはサラの魅力が半減するだろう。 エディにとってアルコール依存のサラは、彼女が勝負の場に無関係でも、絶頂とどん底の感覚を理解してくれる唯一の人間だったのではないだろうか?(前の相棒がミネソタ・ファッツに負けたその場にいながら自分の取り分を残していたのと好対照、彼の友情はエディが求めているものではなかった。) エディとサラには心があった。 しかしエディはサラに応えることができなかった。 親指を折られたエディを見つめ涙するサラがなんとも印象的だ。
そのサラが初めて勝負の場に顔を出したとき、エディがお互い共有の感覚を無くしつつあるのを知る。そしてバートの部屋で死を選ぶ。それは勝負師バートも予期できなかったことだろうが、バートは「サラは遅かれ早かれこうなる人間だ」と割り切る。エディは最も大事な人を失し、はじめて彼女を愛していたという。
ラスト、エディはミネソタ・ファッツとの勝負に勝った。それは純粋なハスラーとしての勝負で、勝負師としての勝負ではない。エディはもう勝利に酔う必要もなくなっていた。バートの誘いを断りプール・バーの出入り禁止となったエディは、ミネソタ・ファッツのテクニックを称え、あくまで勝利にこだわるバートを"loser"と呼び、立ち去る。
サラとハスラーを無くした主人公も"loser"であることには違いない。
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