[コメント] 殺人狂時代(1967/日)
ダメ教授の凡庸さは薄汚い風体で語られ、知的であるべき記者の女性性は肉体で体現され、悪役のマッドさは滑稽とも取れる唐突さで示される。本来、ハードボイルドアクションとして颯爽と描かれるべき物語が、ことごとく逆思考でディフォルメされ解体されている。
戦後の日本において60年代というのは、政治的にも文化的にも、愚直なまでの地道さが求められつつ、その変容のスピードに人々が揺さぶられ、地に足着かず気分のみが浮ついていた時代だったのだと思う。そのせいか、この時代のプログラムピクチャーは、一様にリアルさからいかに逸脱するかを競っているように見える。その「愚直なまでの地道さ」を本能的に排除しようとしていた最右翼が、岡本喜八と鈴木清順だったのではないだろうか。
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