[コメント] パルプ・フィクション(1994/米)
感心しない。いくらなんでも冗長。それは上映時間が長いからでも無意味なダイアローグがだらだら続けられるからでもなく、演出のメリハリが弱いから。あるいは撮影が「瞬間」を切り取っていないから。云い換えれば、これは非常にアッサリした映画だ。だが、面白い。
この映画がアッサリしているということについて具体的に云えば、たとえば、ジョン・トラボルタとユマ・サーマンがツイストを踊るシーン。確かにここはこの映画の中で最も印象深いシーンのひとつだし、私も好きなシーンなのだが、もっともっと濃密な時間の流れが描かなければならなかったはずだ。しかし『レザボア・ドッグス』のマイケル・マドセンのダンスに漂う緊張感を思い返してみれば、タランティーノはここであえてアッサリとした演出を施したのではないかと思い至る。
また、サーマンが登場するシーンはもっと露骨にアッサリしている。はじめにサーマンが私たちに晒すのは声と手だけで、いったいどのような形でサーマンの顔ないし全身が登場するのだろうと期待させておきながら、溶暗の直後に訪れるそのショットは「車に乗り込んだサーマンとトラボルタ」という非常に平凡なツーショットなのだ。このアッサリぶりにはちょっとびっくりする。
あえて映画的瞬間の現出を回避するかのようなこれらのアッサリした演出には確かに不満も大きいのだが、それは「人間味あふれるキャラクタ」や「くだらなく、また無内容であるがゆえにかえって現実らしいダイアローグ」などといったもの以上に、この映画に流れる日常的な時間の組織に貢献している。そしてそれが『パルプ・フィクション』の魅力であることは疑いないのだから、これはもうタランティーノの勝ちと云ってよい。
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