[コメント] ライフ・イズ・ビューティフル(1997/伊)
「作り話」は映画の構図そのものでもある。
話の運びには隙もあるのだけど、いわば「収容所=非人間的=死」を背景として「ユーモア=人間的=生命」のたくましさが映える、という対比は単純ながらやっぱり素敵だなと思ってしまう。
一見、純真な子供をだしにしたありがちな泣かせ話みたいで、確かにそんな面もなくはないけれども、これはもう少しひねりのある映画のようにも思える。実のところ、この息子がそれなりの鋭い洞察力を持った少年らしいのは、中盤の「祖母が店を訪ねてくる」場面であらかじめ示されている。つまり、父親の作り話をこの子はまるごと信じ込んでいるわけではないのかもしれない、と想像されるところ。にもかかわらず彼が終始素直な子供として振舞っているのは、やっぱり父親を好きで信頼しているからだし、そしてなにより父親の「物語」がただ素敵だからだろう。フィクションとなかばわかっていながらも物語の魅力を信じて身をゆだねる、というような態度は、スクリーンを前にした「観客自身」の立場とも重なるものがあるんじゃないだろうか。(そもそもこの作品では、「映画作家」が物語上の主役を兼任しているのだ)
いささか物足りないのは、舞台装置として「ホロコースト」という誰もが知っている既成の題材を借用しているところだろうか。たとえばエミール・クストリッツァ監督の『アンダーグラウンド』みたいに、歴史と世界そのものを捏造してしまう強烈な物語の力とくらべれば、この映画の「作り話」はだいぶささやかなものに思えてしまうのも否めない。
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