[コメント] 鉄道員〈ぽっぽや〉(1999/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
テネシーワルツ満載の冒頭から好感度は跳ね上がる。映画は女性週刊誌のおばはん向けのスタア・ゴシップの側面をクローズアップして意に留めていない。こんなのもこれが最後ですぜ旦那、と云っているかのようだ。
本作はまた、曖昧なホモセクシャル映画であり(トンネルでの小林稔侍の窒息は『北北西』みたいな暗喩だろう)、男心に男が惚れて意気がとけ合う赤城山。後年その点から評価し直されるのかも知れない。小林稔侍がラストショット取っちゃうのは凄かった。勤務中に酒勧めるのはやり過ぎだろうが。志村けんはスト破りする臨時工の役。卓袱台の下で寝ていて起きようとして頭打って「あ痛」の達者な芸がここに記録されている。
映画としては三人の娘登場のショットがいずれも軽く怪談になっているのが見処。広末涼子が消えるにあたって、だたフレームアウトするだけというのがいい。湯気吹いている鍋だけが残るのも感じいい。怪談映画は新東宝や大映のものだが。、東映はかつてのライバルに拘りどなく日本映画代表の位置で撮っているのだろう。
死んだ娘の幽霊に「だってお父さん、何もいいことなかったでしょ」と寂しく微笑まれる高倉健の自己憐憫は「貴女に褒められたくて」の作者に相応しいのだろう(あれは究極には母親だが)。再見。
付録:チエミと健さんの年表。人気はチエミが10年先行していた。運命の上り下りを感じてしまう。ふたりは赤ん坊を亡くしているのも本作に通じるのでした。
1949年 チエミ12歳で進駐軍のキャンプまわり始める。
1952年 チエミ「テネシーワルツ/家へおいでよ」でレコードデビュー
1952年 チエミ日劇リサイタル(1967年まで)
1953年 チエミ、紅白初出場(1968年まで。16回連続は当時の記録)
1955年 チエミ『ジャンケン娘』大ヒット。健さん、東映ニューフェイスとして東映へ入社。
1956年 チエミ『サザエさん』シリーズ化、健さん『電光空手打ち』で主役デビュー。ふたりは『恐怖の空中殺人』で共演。
1959年 ふたりの結婚
1962年 チエミ新宿コマ座長公演(1978年まで)
同年 チエミ妊娠、妊娠高血圧症候群(妊娠中毒症)を発症し中絶
1963年 健さん『人生劇場 飛車角』で準主役に抜擢
1964年 健さん『日本侠客伝』シリーズ化
1968年 チエミ、ポリープによる声帯の手術
1969年 チエミ、連想ゲームキャプテン。紅白落選がニュースに。
1970年 ふたりの自宅が全焼
1971年 健さん、岡田茂次期社長に高倉プロの約束を反故にされる。
同年 チエミの義姉(異父姉)による横領事件発覚 チエミ側からの申し入れで離婚 チエミは数年かけて数億に及んだ借財と抵当にとられた実家などを取り戻す。
1972年 チエミ、日航ハイジャック事件に乗客として遭遇
1976年 健さん、東映を退社
1977年 健さん、『八甲田山』、『幸福の黄色いハンカチ』で第1回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞
1982年 チエミ逝去。享年45歳。死因は脳卒中と誤嚥
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