[コメント] ビリー・ザ・キッド 21才の生涯(1973/米)
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この映画においては、誰ひとりとして「格好よく」死ぬことは許されていない。誰も彼もが不細工な殺し方とあっけない殺され方によって命を落とす。クリス・クリストファーソンもジェームズ・コバーンもスリム・ピケンズもL・Q・ジョーンズもジャック・イーラムもエミリオ・フェルナンデスも。男たちは『ワイルドバンチ』のように華々しく散ることすらできないのだ。だからこの映画においては人が銃弾を受けるショットであってもほとんどスローモーションにされないし、仮にスローモーションにされる場合でもそれは「死」に意味を付与するのではなく、むしろ「死」から意味を剥奪するような仕方で行われる。
あるいは「格好よく死ぬことができない」というのは「格好よく生きることができない」の裏返しなのかもしれない。ここでのコバーンは「格好よく生きること」をあからさまに諦めた男だ。しかし、それは決して時代のせいだけではないし、一方で最期まで無法者であること(といういかにも西部劇的な「生」)を貫いたクリストファーソンが「格好よい」かというとやはりそれも違う。時代や場所を問わず私たち人間の「生」「死」は決して「格好よい」ものではありえないという現実をペキンパーは冷酷に突きつけている。だから『ビリー・ザ・キッド 21才の生涯』はただの西部劇でもなければ、格好よく生きることができた時代としての「西部劇」に対する挽歌でもない。すぐれて現代の物語であり、それ以上に汎時代的で汎人間的な映画なのだ。
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