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[コメント] 間違えられた男(1956/米)

日常に潜む不条理を得意気に語ってみせるヒッチコック。ヒッチコックの冷徹さが最もよく表れた作品のひとつだろう。
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**ネタバレ注意**
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ヘンリー・フォンダヴェラ・マイルズは強い絆で結ばれた夫婦のはずなのだが、マイルズが狂気に蝕まれていることが明らかになる場面でのふたりの孤絶感ときたらどうだろう。簡素なミザンセーヌと無機質な切り返しがふたりの間に横たわる心理的な距離をあますところなく表現している。心理描写に重きを置いた作品だけに、カメラによって心理を描くヒッチコックの技術の凄まじさが至るところで確認できる。

ところで、これは「しかるべき状態に移行せしめるための行為」についての映画と見ることもできるだろう。ここで「しかるべき状態」とは一義的なものではない。マイルズは「歯の治療」をしようとするが、これは健康上の「しかるべき状態」に移行せしめるための行為であり、保険会社への「借金」は家計上の、フォンダの「裁判」は法律上の「しかるべき状態」に移行せしめるための行為と云うことができる。

しかし、それらの行為が完遂されることはない。フォンダは「借金」をするどころか強盗と間違われて逮捕されるし、その借りた金で行うはずだった「歯の治療」も当然なされない。フォンダの「裁判」は中断されたまま、真犯人の逮捕によって有罪・無罪のいずれの判決も下されないままに終わる。つまり、主人公であるフォンダにとって都合のよいことであろうが悪いことであろうが、この映画において「しかるべき状態に移行せしめるための行為」は常に失敗するものとして描かれているのだ。ひとつの例外を除いて。

それは精神の健康上「しかるべき状態」に移行せしめるための行為、すなわちマイルズの「錯乱した精神の治療」である。ところが、確かに事件の二年後にマイルズの精神は完全に健康を取り戻すのだが、それは観客にはラストのインタータイトルによってそっと伝えられるに過ぎず、そのインタータイトルさえ無視してしまえば、まるで映画はアンハッピー・エンディングのような余韻を残して終わるのだ。

これについて、私は次のように解釈する。すなわち、これは事実に基づいた物語であるのだから、その事実に反した結末にすることはできない。だが、ヒッチコックはあくまでこれを「しかるべき状態に移行せしめるための行為が失敗する物語」として描かんとしたため、まるで「治療が成功しなかったかのような描写」と「治療が成功したという事実の(インタータイトルによる)提示」を組み合わせたのではないか。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)煽尼采[*]

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