[コメント] めまい(1958/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ブロンドの髪をまとめて現れたキム・ノヴァク(マデリン=ジュディ)の高貴さ。自分の追い求めていた理想が目の前に出現する奇跡。二度と手に入れられない、記憶の中だけと思っていたものが甦る甘美。ヒッチコックはこれを、恋愛ドラマのドラマ構成を用いて、思い入れたっぷりに描く。比類ない盛り上がり。普通の恋愛映画だったら、このキスシーンで終わってもおかしくない。
確かにわれわれが追い求める理想の中には、過去の記憶の不可能な再現を求める側面がなくはない。人間社会が恋愛と呼んでいるものの中にも、このような自己満足型の理想の追求という要素が含まれている。少なくない恋愛映画が、こうした要素を恋愛と描いて可としている。そこには確かに甘美があり、陶酔があるからだろう。
ヒッチコックは、恋愛ドラマの手法を用いることで、われわれが見ようとしないこうした事実をわれわれに突きつけたのだと言える。われわれの見たいもの見せながら、見たくないものを見せるのだ。映画にはこういうことができるんですね。
ジュディ(=マデリン)がそのままサンフランシスコに留まるのはあり得ないように思う。しかしくどいようだが、逃げようと思えば逃げられたジュディの、恋に準じた想いだけは物語の中できちんと昇華してあげてほしかった。ま、恋愛映画であったなら、という話だが。
10年前に初めてDVD で見たときは、高いところから下を見下ろすシーンで、被写体の縮尺がギュイーンと伸縮する映像表現に思わず笑ってしまった。しかし今回、劇場で観てみると、やっぱりなんかクラクラッとくる感覚がある。やっぱ映画は映画館で観るのがいいですね。
ただ、あの終り方では、スコティがまた深刻な病気を抱えてしまうのでなけりゃ、ヘンだと思う。
80/100(14/09/13劇場初見)
***これまでのコメント***
女は変わる。服装と髪型と髪の色で。そりゃそうだ、そこまでやれば男でも変わる。
***これまでのレビュー***
こんな美しい街並みを見るのは、『ローマの休日』のローマ以来だな、と思って見てた。また街の端正なたたずまいに、往年の二枚目俳優(?)ジェームズ・スチュワートの雰囲気がぴったり。これだけで、どんなにストーリーが不出来でも★3つは確保かなー、と思って見てたのだけど、後半、景色をなぞるでしょう。画面を眺める喜びが持続しないと、付き合いきれないストーリーだったもので・・・。
男の妄想に最後まで付き合わされた(自発的に付き合った?)挙句、命まで失った女の物語、です。彼女の健気な努力を認めるのであれば、最後の抱擁とキスで彼女の恋を成就してあげなければいけない。ラストのやり取りを紹介します。
スコティ:君は奴の女だったわけだ。その後は? 捨てられたのか? 妻の金と自由を手に入れて君を捨てたのか。君が安全なことを知ってて。(君を黙らせるために奴は)何をくれた?
マデリン:少しお金を。
スコティ:それに首飾りだ。(肖像画の女である)カルロッタの。それが失敗だった。殺しの思い出は、思い出は・・・、捨てるべきだった。(間)愛してたのに、マデリン。
マデリン:スコティ。あなたに見つかったとき、私は逃げられたのよ。逃げようと思ったわ。でも愛してたから、危険に飛び込んだの。あなたの望むままに。スコティ、お願い。(私を)愛して。私を守って。
スコティ:手遅れだ。彼女は戻らない。
マデリン:(お願い)
...and they kissed.
そもそもスコティはマデリンを「奴」の妻と思っていたわけで、にもかかわらず彼女に懸想した。それを悪いとは言わないが、今になってそれを理由に彼女を糾弾するのは卑劣である。また、自分の愛した女は幻想に過ぎなかったと知りながら、幻想を現実にあわせるのではなく、現実の女を幻想に合わせようとする行為は、はっきり言って醜い。結局のところ、監督であるヒッチコックが彼女を突き落としたわけだが、彼は女に恨みでもあるのだろうか?
いやまあ、たいていの男ならあっても不思議でないが、そういう話は映画じゃないところで語ろう、な?
65/100(04/07/30記)
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