[コメント] 動乱(1980/日)
史実としての「2・26」事件を追いながら、実在した首謀者の「情愛」を描くというとても難しい作品である。苦慮の末の二部構成なのだろう。監督に同情すべき点は多々あるが、高倉と吉永どちらの視点で描くかで失敗したのではないか。
前半の第一部では高倉と吉永の出会いを丁寧に描いたと思う。そして唐突に第二部が始まると時は流れており、二人は既に見かけ上は夫婦になっていた・・・
この間の省略は無謀とも思えたが、それもまたこの後にやってくる「2・26」事件という大事件を追うには些末なことなのかと納得はしてみた。
本作はその視点を高倉健で描く。「2・26」事件を描くのならばソレは当然の帰結だろう。しかし作品は吉永小百合との「情愛」の比率を多く描こうとしていた。鑑賞していると「事件」と「情愛」ふたつのテーマがせめぎあっているかのように感じたのだ。
第二部ではソノせめぎ合いのバランスが微妙なのだ。「事件」を追うパートは当然のように面白い。しかしこれまでにも「2・26」事件を描いた作品は山ほどあるので二番煎じな画しか見る事は出来ない。せっかく吉永小百合を持ってきたのに勿体無いと感じた製作者のあせりがココで見えてくる。
物語は再び「情愛」へと振れていく。しかし、第一部と第二部の間で失われた「省略」部分のツケがココで噴出してくるのだ。
「事件」の顛末は日本人なら知っているだろう。ここは思い切って二番煎じの感のある「事件」の描写を削って、「情愛」のパートをメインに描くべきだったのではないだろうか。さらに言えば吉永小百合の視点からの脚本にすればソレはより鮮明になったと思う。
戦争映画によくあるような男女の「愛と別れ」の話だが、とってつけたような・・とは言わない。よく出来た映画だったとも思う。しかし、ふたりの共演は充分に機能していたとは言い切れないもどかしさがあった。
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