[コメント] 白夜(1957/伊=仏)
何時だって何処だって、ね。男はつらいよ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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重度の妄想家である主人公が期待に胸を膨らませて外界に一歩を踏み出した矢先、絶望に見舞われ再び空想の世界へ深く帰っていく、というのが原作を読んで俺が最も感銘した部分である。(ウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』はこのアレンジの最高傑作)
ビスコンティの『白夜』は、これとはテーマが大分異なる。主人公の妄想癖を治癒し、虚無と欺瞞のペテルスブルグから絶望と退廃の(戦後?)イタリーへと舞台を移行させた本作のテーマはそのものズバリ「恋愛」。「失恋」。「男と女」。
実にイタリアらしい潔さだと思う。娼婦とのやりとりや、水際での乱闘騒ぎなどもあんまりイタリア(映画)らしくて嬉しくなってしまったほどだ。この潔さがなければ本企画はマストロヤンニの自己満足として終わっていたであろう。
ビスコンティとマストロヤンニが創造したこのイタリア式の、不器用ぶっていてその実計算高く、そうかといって押しの弱いところのある主人公像は、原作とは全く別の魅力に満ち溢れているが、とりわけ寝起きのシーンや、ダンスのシーンでの羽目の外し方は一際立っていた。
だからなのかなんなのか、ともかくなんとなく、本作で成された『白夜』の解釈こそが、葛飾柴又で49回繰り返された人情喜劇に直結していったのではないか、なんて思ってしまうんだが、そこんとこどうなんでしょ山田さん。
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