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[コメント] 白夜(1957/伊=仏)

幼稚な恋にもそれなりの美しさがあるが、マリア・シェルの俗な顔立ちには繊細さが欠け、世間知らずの小娘が些細な事で泣いたり笑ったりする様には魅力を感じない。彼女を夢中で追うマルチェロ・マストロヤンニの素朴さも、作品の幻惑性を殺ぐ。
煽尼采

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







物語の舞台が、原作でのロシアからイタリアに移された事による弊害か、道往く人たちがコートに身を包んでいても、窓のガラスが水滴で曇っていても、寒そうな印象が弱い。寒さが演出し得ていないという事は、人と人とが互いに身を寄せ合いたくなるような空気が充分に演出し得ていないという事。

本来なら、孤独感とイコールである「寒さ」が最後に雪へと結晶し、マリオとナタリアが共にその美しさを愛でる姿に、二人の心の通い合いが視覚化されていているべき所だろう。だが、終始、画面から感じられる温度は、非常に過ごしやすい普通の温度であるので、最後の雪のカタルシスも弱い。

終盤での光の演出には見るべきものがある。マリオとナタリアが、遂に恋仲に発展しかける辺りでの、川の水面に反射する光による陰影の揺れ動きは、そのまま二人の感情の動揺とリンクする。二人が新しい未来へ共に歩みはじめた所で、一緒に小舟に乗る行為は、曖昧に揺れる感情の反映のようであった川の上に、「一緒に居る」という行為が浮かべられるという事でもある。ここで更に雪が降る。降り積もった雪に真っ白に染められた街並みは、それまでは夜の闇に覆われていた画面の質を一変させ、また、水面の反射光のような不安定さから、揺るぎない明るさへの移行を感じさせる。

だが結局、ナタリアにとって揺るぎない光明とは、彼女が橋の上で待ち続けていたジャン・マレーであったのだ。ラストシーンでの、小さな黒い影と化したマリオの哀しさ、彼に寄って来る犬の切なさなど、最後の最後で見せた完成度の高さは、やはりこの映画を観た価値はあったと感じさせるものがある。だが、この映画のドラマとしての強さを感じるのは、本当に最後の最後だけなのも事実。

(評価:★2)

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