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[コメント] マタンゴ(1963/日)

「理性的に生きること」が「人間」なのか?本作はそれらを全て否定する。
荒馬大介

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ……「苦悩を捨ててマタンゴとして生きる」のと「苦悩してでも理性的な人間として生きる」こと、どちらが本当の「幸せ」か、と聴かれるとさすがに返答に詰まる。簡単に結論が出るものではない。だが本作は後者を見事なまでに否定した。

 佐原健二は登場人物達の、どろどろの苦悩の巻き添えとなって死に、小泉博はその苦悩から抜け出そうとして逃げ出すも失敗、やはり死亡する。作家の太刀川寛はそんな苦悩など考えもせず、あるいはどうでもよかったのかもしれないが、あっさりとマタンゴを食した。キャバレー歌手の水野久美もおそらく同じ考えで、「苦しむ必然性なんか無いのよ」とばかりに、仲間達と頑張っていた土屋嘉男を誘惑しキノコを食べさせる。 そして久保明演ずる若い大学講師は八代美紀と共に、「人間的な、理性的な行動をしていればきっと助かる」と信じ、苦悩と戦い続けたわけだが……。

 苦悩しながらも「あのキノコを食べなければいい」と思っていた彼の考えは甘かった。最終的に久保明は島から脱出するも、精神病院の檻の中。しかも顔にはマタンゴが……というショッキングな結末を迎える。これではキノコを食したのと全く同じ結果である。彼の苦悩は、努力は全て否定されてしまったのだ。そして逆に彼はこれからずっと、本来なら「快楽」を与えるはずの「マタンゴ」によって一生「苦悩」しなければならないのだ。

 「そんな風に苦しみながら生きる姿が“人間的”だって?甘いんだよ!だったら一生苦しめ!ハハハハハハ……」あのマタンゴの笑いは、「理性的な行動を良しとする人間達」に対する嘲笑なのである。「みんな、どこかしら“マタンゴ”を食べたい、って思ってるんでしょ?」

 この「マタンゴ」の意味するものは、そのものズバリ「欲望」「快楽」だと思う。そして自分もその「マタンゴを食べたい」という想いを少なからず(いや、かなり)持っているし、それを否定できない。皆さんはどうだろうか?そして極限状況下で目の前にマタンゴがあったとしたら食べているだろうか?禁断の果実なんかよりこっちの方がよっぽど怖い……。

(評価:★5)

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