[コメント] モスラ MOTHRA(1996/日)
大自然の守護者としてのモスラ、その破壊者としてのデスギドラという発想はよく、モスラは自然と密接にかかわっている。だが、デスギドラについては光線と爆炎で誤魔化されているような気がする。どうせファンタジーとして描くなら、デスギドラにエナジーを吸収された木々が枯れ果ててゆくといった描写がなされるべきだったろう。あれでは従来の東宝怪獣と変わるところはない。
エリアスは妙に普通の少女になっている。喜怒哀楽は子供たちに任せればよいこと。「小美人」のように感情を抑えた存在で良かったのではないか。この作品の副主題歌(矢野顕子の楽曲)はなかなか聴かせた。
逆に子供たちの存在は薄かった。エリアスに「あなたに最初に会えてよかった」と言わせるためには、もっと子供たちの成長が見たい。親たちこそがむしろ不要である。自然破壊に対するよくある教訓のため以外に存在価値はないのだから(それでも、荒れ果てた自然を見て「いいのよ。子供たちの世代に任せることになっても」みたいな母親の発言には慄然としたが)。子供たちだけで冒険させられるシチュエーションも考えられないではあるまい。
そして自衛隊だ。東宝怪獣映画としてこれほどその存在が無視された話も珍しかったろう。それは現実と過密着になるなら無視してもかまわない。だがそれなら、他人事のようにこの一大事を放送しているテレビは必要だったか。ファンタジーに徹するならむしろバッサリ切り捨ててもよかった筈だ。
今更のようなことだが、結局この話は徹頭徹尾南洋の孤島の物語とし、そこに迷い込んだ兄妹の物語で良かったのだろう。下手に日本と関わらせることで、物語は語るべくもないことを語り、その代わり語るべきことを語らず仕舞いに終わったのだから。
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