コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] ファニーとアレクサンデル(1982/独=仏=スウェーデン)

老監督らしいいい加減さを愉しむべき作品か。ファニーの名前をタイトルに入れる際に本編の内容を忘れていたのではないだろうか。
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







室内中心でバストショットの会話劇がおよそ半分を占めているが、なぜか退屈しない。映像のリズムが一貫している心地よさからなのだろう。特にクリスマスの一夜を描く1部にこれが顕著。大勢の登場人物ゆえ、その関係を見逃すまいと集中せざるを得ないからでもあるが。

これだけ大勢の人物を紹介した限りは、彼等の顛末が描かれるのだろうと見ていると、さらに新しい人物が増殖し続ける。5部のイシマエルに至ってはインパクトがある人物なのだがついに散漫に思えてくる。一方、1部で紹介された人物群は忘れた頃に出てきてドタバタやっている。これでは持ち時間が5時間あっても足りる訳がない。老監督らしい好き勝手が展開されているとしか見えない。それでも上記のリズムで観せてしまうのはすごいことだが。

3部。ハムレットの稽古中に父が倒れ、爬虫類みたいな主教と母は再婚する。これはハムレットが始まるに違いないと見ていると、アレクサンデルの反目を見た母は彼に「ハムレットはやめてね」と云う。アレクサンデルは殺害はしないが、主教の死を念じ続け、死んでしまった主教の亡霊に付き纏われることになる(父の亡霊とかち合ったりしないのだろうか)。悲喜こもごもの大団円にぼそっと挿入されるこのラストはとてもいい。主教の前妻の娘の亡霊が「私たちは殺されたんじゃない」とアレクサンデルの顔に嘔吐する件が効いていて、彼は罪悪感をいや増すことになるだろう。

結局、この長い映画から伝わってきたのは、祖母や母の甦った幸福と全然関係なくアレクサンデルは亡霊に付き纏われ続ける不条理、ということだった。不満なのは、出てくる亡霊にもうひとつ深みがなく(死の床の父との対面の件の強度にどれも及ばない)、的確な解釈にも欠けるところ。あの位の幻覚は、子供の頃は誰でも見るものだ。「私は息子が怖い」なる主教の詠嘆を何年後かに母から聞いたら、亡霊はぱたっと現れなくなるだろう。私がもっとも記憶に残ったのは、父が死んだ夜、枕越しに聞く母の号泣だった。幻覚はリアルに敵わない。それらを提示しているのはこの映画の魅力ではあるが、全般に交通整理ができていないと感じる。

子供の監禁と箱に隠した救出劇はディケンズだろう。イサクが念じると主教の目には子供が監禁部屋に倒れているのが見える、というショットは、唐突感がこの監督の持ち味ではあるが、それにしても全体から浮いていて妙に印象的。イサクは超能力者か、葬られた聖職者か。彼の人となりなど、もう少し深掘りがあっていいはずだ。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。