[コメント] ケイゾク/映画(2000/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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昼メロ(真珠夫人と同じ時間帯ね。)時代からの渡部篤郎ファンなのに、どうしたことかドラマ・ケイゾクは見ていなかった。(というか、最近ドラマは全部見てない。)アサクラという人についても、何も知らないので、真山とどんな関係なのか全然わからなかったけれど、事件解決だけの映画にしなくて正解だったと思います。
離島の、一風かわった建築の豪邸での連続殺人事件を解決するだけの映画だったら、私も「ドラマ見ていなかった人は見る資格がないって言いたいのかよー!」と怒り爆発するところでしたが、解決後のくだりがあるせいで、映画として成立したと思います。みんな自分の人生には自分でケリをつけていかなくちゃ、前に進めない。それはわかっているけど、そこから抜けだすのもさびような、こわいような気がする。あまりにも長い間、執着していると、頭ではいつまでもこだわっているのはバカバカしいとわかってはいても、そこから離れられなくなってしまう。自分の居場所、手を離したら自分が空中分解しそうな不安。恐怖。犯人も、真山も、柴田も、長いこと執着してきた問題にケリをつけ、手を離そうとする。置いていかれる不安、聞きたいのに聞けないでいる焦燥感。素直になれなんていわれても、どんなのが素直だかわかんないという感じ。そういう不安や恐怖が、映像としてもよく表現されていたと思います。ただ犯人だけは、新しく出直すことよりも、手をつなぎなおすことにしたようだ。彼女が心からそうしたいと願うなら、そういう選択もアリだと思う。すべての人が自分の人生にケリをつけて前進できるわけじゃない。ケリをつけたら、人生が無意味になってしまう人もいるかもしれない。偽善者ぶって、前向きな生き方だけが有意義な人生だよ、な〜んて言うのは傲慢なのかもしれない。そういう観念的なことを表現するのには死者っていうのはよかったと思いました。普通は、答えが返ってこない質問を一生かかえて想い続けることしかできない相手だから。また、答えが返ってこないことで安心できる(ホントのことを知るのが怖い)という反面も考えられるし。そういう意味で「黄泉の国」との接点のある島、というのには意味があると思いました。
な〜んて言ってはいるが、ドラマを見たら、全然見当違いだったりしてね。しょうがないよね、独立した映画なんだからサ。それにしても、昼メロ(「愛の天使」だったと思う)に出演したとき、松田優作の後をついでいくのはこのオトコだー!と私を感動させた渡部篤郎さん。ますますいい役者になってください。
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