[コメント] グリーンマイル(1999/米)
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コーヒーとはスペルが違うコフィ。彼は治癒能力により所長の妻の病気を治療しました。そして、その吸い取った病巣を新米看守のパーシー(死刑囚に濡れたスポンジを装着しないで殺した看守)に飲みこませて、少女2人を惨殺した死刑囚ウォートンを射殺させます。当時のアメリカの法律では、裁判官でも陪審員でもない人間が人を裁く事は出来ません。この時点でコフィは法を犯しているのです。結果的にコフィ自身もグリーンマイルを歩き電機椅子で死刑にされるのですが、これは因果応報によって裁かれて至極当然と言えましょう。新米看守パーシー精神病院送りも含めた倫理観は、監督・原作による独断の裁定ではありますが、僕なりに理解できます。”良い人”コフィの善行は、主任のポール達の心の救いの手によって認められている事も見逃せない倫理観のひとつですから。ただし、理解と賛成とは別の話です。
さて今度は司法立法からの観点から見てみましょう。劇中でコフィは少女惨殺の罪で死刑にされますが、本来、負うべき罪は、凶悪犯ウォートンを間接的に殺した大罪によるものでなければならないのです。これが法治国家たる主権国家の立場です。コフィの少女惨殺は冤罪事件として扱い、凶悪犯ウォートンは少女惨殺事件として、パーシー看守はスポンジの事件として立件すべきものなのです。しかし司法による検察結果が全て正しいのかと問われれば”司法の立場から見れば正しい”としか答え様がありません。これをふまえて、本作は原作者・監督による倫理観(正義観)を伝える為のもので、司法立法とは別の次元で考えた方が良いのかもしれません。
少し論点がずれますが、倫理(正義)とは何でしょうか?僕はこう思います。
”私から見れば私は正しい。あなたから見ればあなたは正しい。”
全ての人、それぞれに違った倫理(正義)があると思います。それを纏め上げるのが法律です。法律は全ての人が納得するものではありません。しかし人々の生活を保持する為には必要不可欠なものです。自分が納得しない事でも守らなければなりません。仮に法律とは違った自分の倫理(正義)を貫き通したい場合は、法的手段を施行して法律を変えていくしかないと思います。
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